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ニ軸理論について-その2|ニュースレターNO.071

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二軸理論
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前回、投球動作とバッティングについて動作解析の分析と二軸理論の考え方を比較できるように紹介しました。しかし、なかなか整理することがむずかしいようです。私もこの間に、何冊かの本を読みました。読み広げるほどいろんな考え方が出てきて、まさにまとまりのないものになってきます。

結論的には、何が理論なのかということになります。なぜ二軸理論なのか、それが理論なのかということです。理論ということであれば、関係することがすべてその考え方の元に成り立たなければならないのですが、どうやら二軸理論というものは、その域に達していない、理論と呼ぶにはわからないことが多すぎるように思います。

まず、軸ということですが、広辞苑によれば、軸とは「物理学の分野において、物体が回転運動をする時、空間的位置を変えず物体に固定したものとみなされる直線」、「回転軸」となっています。したがって、ランニング動作での二軸というものが成り立つのかどうかと思われます。

解説では、右足と左足が平行に移動するということで、二軸になるような表現になっておりましたが、ランニング動作での軸とは何を指すのかよくわかりません。右足から左足に乗っていくというのでは二軸ということにはならないと思われますが、このあたりが理解できません。

イチローの打撃とランディ・ジョンソン投手の投げ方が二軸理論で、松阪投手の投げ方とボンズの打撃が中心軸ということも、よくわかりません。おそらく、イチローとランディ・ジョンソンは支持脚から踏み込み足への移動が明確に見られるからで、松阪とボンズはその移動があまり見られないということからきているのかもしれません。

しかし、最終的には「上下逆回転ひねり」がポイントのようですから、ひねりをどのように使うかの違いのように思われます。どうも、軸という表現に問題があるようです。

また軸の解釈と共に疑問に思ったことは、一般に「人は肩と腰を互いに逆方向に回転させて歩いたり走ったりしている」と書いてあったと思いますが、そのような歩き方や走り方をしている人は見た事がありません。普通に歩けば肩は振りませんし、腰もひねらずに歩いているはずです。

走りも同様です。肩と腰を逆方向にひねって走るなんてことは、それこそむずかしい動作のように思われるのですが、なぜそのような動作が一般的な歩行と走りといわれるのか私にはわかりませんでした。

ランニング動作、スプリント動作に関して、二軸ということはまったくイメージできないのですが、「支持」ということならまだ理解もできます。

ランニング動作はワンパターンの動作の繰り返しですので、まだよいのですが、投球動作や打撃動作はもっと複雑なはずで、軸という言葉を用いるなら関節の動きをイメージすることになり、どれほどの軸を使うことになるのか、とても2本の軸だけで収まらないと思います。

これを軸という用語を用いずに、支点や支持という用語を用いれば、わかりやすいように思うのですが、それでも説明はむずかしいと思います。このような状況の中で軸の理論ということになれば、整理がつかないのも当然のことかと思われます。

私もスプリンターの指導をしておりますので、二軸理論というものには興味はありますが、実際には加速する段階で、左右の脚に体重を乗せていく局面が明確に現れますが、トップスピードに乗れば、そのような移動はできないはずですし、それこそ体幹の中心軸を固定して(ただし、体幹の回旋はありません)、左右の股関節に横から一本の軸を通した脚の動きになるというのが現実ではないでしょうか。

指導の中で、脚に乗っていきなさいというアドバイスをする事がありますが、それは左右の脚に体重を移し変えていきなさいということではなく、前方に重心を移動させていくということです。左右に重心を移動することになれば、重心の軌道が直線ではなくなり、蛇行することになります。結果として、最短距離を走らないことになります。

文章のとらえ方や理解の仕方はいろいろあり、書いた人の考え方と違う場合もよくあることです。私自身も表現の仕方を間違えたために、違った解釈をされることもあります。したがって、「・・理論」という場合は特に注意が必要ですし、その定義がころころ代わってはならないし、その理論をどの方向からどの場面から解釈しても納得できるものでなくてはいけません。

私自身、魚住理論とおっしゃっていただける方もおられますが、私には理論というような大それたものはありません。基本的な考え方というものはあります。

それは基本的なものですから、実際のパフォーマンスやトレーニングの考え方、リハビリテーション、治療(実際には、使えない言葉ですが)については、その応用編ということになります。その基本的な考え方というのは、人には動かせる動作が決まっているということです。

このことは、パフォーマンスの指導に使います。肘を、また膝をこのように動かしなさいというのではなく、力を抜いて始動のきっかけを与えれば、あとは自然に動く・そうしか動かないということです。それが、形で動かそうとすれば無理が出て、むずかしいのです。

いつも楽に、自然に、勝手に動く・動かすようにさせるだけです。それでもできない場合は、何かを意識しているはずですから、その意識を取り除いてあげるか、違うアプローチを用います。

また、リハビリテーションや治療(痛みの軽減)などについては、からだをノーマルな状態に戻してあげるということだけです。問題は、何がノーマルかということです。私が考えるノーマルとは、バランスの取れた左右対称の状態を指します。厳密には、この定義も必要になるようですが、私はその専門家ではありませんので、単純にこのような考え方を持って対応しています。

このような考え方は、理論ではないと思っておりますので、魚住理論と呼ばれることには少々違和感があります。むしろ自然な考え方と考えていただけたらと思います。いろんな考え方があってしかるべきで、また現状、それがおかしい考え方であると思われても、来年、その先になってそれが正当な考え方になる場合もあります。

問題は、この情報過多の現状の中で、自分自身の考え方のベースを持つということではないでしょうか。その考え方を理論と名づけることには、あまり賛成できません。それこそ、「魚住の考え方」というような表現を使うほうがよいのではないでしょうか。

最近、この二軸理論もそうですが、『ナンバ走り』や『古武術』に関する本を読んだり、高岡英夫氏のランニング理論を読みましたが、まずます焦点が定まりません。スポーツパフォーマンスを向上させるために何が必要なのか、わかったこと、共通することはリラックスすることです。

リラックスすることが最高のパフォーマンスが発揮できることは現在の指導の中でもわかっています。私自身の問題は、次のレベルに引き上げるときに、どうすればよいのかということです。そこに筋力やパワーアップの問題が出てきます。筋力トレーニングを否定してしまうと、次のレベルに筋力やパワーを引き上げるために、何をすればよいのだろうかということです。筋力トレーニングだけ考えておれば、そのレベルアップは簡単なことですが。

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