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マトヴェーエフ氏の来日講演|ニュースレターNO.079

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先般からご紹介しているマトヴェーエフ氏の「スポーツ競技学」について、多くの方から「ぜひ読んでみたいと思います」、「どれぐらい理解できるかチャレンジしてみます」という御連絡をいただきました。大変嬉しいことです。スポーツトレーニングにかかわる人達にはぜひ読んでいただきたいものです。

その著者であるマトヴェーエフ氏がついに20日に来日されました。関西空港で待つ間、本当にきていただけるのだろうか、飛行機に乗っておられるだろうか、本当に不安な時間がすぎました。そこに現れたマトヴェーエフ氏はこれまでにないほど御元気でりりしいお姿でした。抱き合って喜びをかみしめました。

今回の来日は、私的な招待であったために、いろいろ手間取ることもありましたが、マトヴェーエフ氏の来日が実現したのです。おりしもマトヴェーエフ氏の著書である「スポーツ競技学」の翻訳出版が重なり、まさに二重の喜びでした。マトヴェーエフ氏からも本のできばえについてお褒めをいただきました。

帰国は29日です。22日には私の母校である大阪体育大学で教員向けに「ピリオダイゼーション」についてご講演をいただきました。日本で最初の講演となりました。その後、懇親会を開催していただき、多くの質問に丁寧に答えていただきました。

私の関係で、講演に参加いただいた方々に皆さんに報告の意味もこめて、感想を書いていただきました。読んで頂くことで、マトヴェーエフ氏の人間像なるものが見えてくると思います。

 

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スポーツ・フィールド代表

魚住先生主宰の勉強会では、毎回のようにDr.マトヴェーエフのことをお聞きしていたので、Drに対しては身近な存在であるようなイメージを持っていました。日本にお呼びしたいというお話は、以前より、お聞きしていたのですが、こんなに早く実現するとは思っていませんでした。

20~15年程前に、競泳コーチを経験しましたが、競技水泳の世界では、当時から量から質へ転換しピーキングを作っていくというサイクルの考え方は常識化されており、私もその常識に従い、練習計画を作っていました。しかし、恥ずかしい話ですが、当時の私には、それがDr.マトヴェーエフのピリオダイゼーションをベースにした考えであることを全く知りませんでした。

それから相当年数を経て、S&Cの勉強を進める過程でピリオダイゼーション理論の存在を知りました。しかし、それは魚住先生も指摘されているとおり、トレーニングのピリオダイゼーションでありDr.マトヴェーエフのピリオダイゼーションと概念が異なることを知らされたのは魚住先生の勉強会に参加させていただくようになってからのことでした。

兎にも角にも世界的なトレーニング科学者のお話を、直接聞くことが出来る最後のチャンスと東京から飛んでいきました。そして先ず、80歳に近い年齢であるにもかかわらず、大きな声でエネルギッシュに話をされるDrの姿には驚かされました。この日の講義は「マクロサイクル」でしたが、私が印象に残った内容をいくつか挙げてみたいと思います。

シドニーオリンピックで自己記録を更新した選手は14%である。これはオリンピック前にピークが来ていることを意味しており、4年間のトレーニングが報われていないことになる。

ソ連時代は89%の選手がオリンピックで自己記録を更新していた。

米ソ対抗戦を40回行った。米国側の自己記録が高いにも拘らず、38回はソ連が勝った。スポーツコンデションをコントロールした結果である。

スポーツが商業化しワールドカップ、世界選手権、オリンピックetcと試合数が増え、スポーツコンデションの最適化が困難になり、競技に勝利してもワールドレコードが出なくなっている等々、ピリオダイゼーションの概念についてはもちろんのこと多くの興味深い話を聞くことができました。

Drがこの商業主義の話に触れたとき、パフォーマンスを追及する純粋な科学者として複雑であろう心境を垣間見た気がし、とても印象に残りました。競技をショーアップする派手な演出は目立っても、勝者の世界最高パフォーマンスを目の当たりにする機会が尐なくなることを悲しんでいるようにも見えました。

商業主義とアマチュアリズムという大問題は一言で語られるようなテーマではありませんが、Drのスポーツに対する深い愛情を感じずにはいられませんでした。

Drは正に「人は年を重ねることで老いるのではない、理想を捨て去るときに老いる。青春とは人生のある時期をいうのではなく、力強い意志と、豊かな想像力、そして燃えるような情熱をもつことをいう」というサムエル・ウルマンのいう青春を髣髴させる方でした。

そしてこの日は、そのDrからエネルギーを注入されたような記念すべき一日となりました。

来日にお骨折りいただいた魚住先生に敬意を表するとともに、参加させていただきましたことを心より感謝申し上げます。

 

大学教授

大学院を出た1980年ごろ、広島大学の図書館で東ドイツで出版されたガリ版刷りのピリオダイゼーションの本と出合ったのが私にとってマトヴェーエフ教授を知る最初のきっかけであった。

90年代に入ってソ連崩壊後のアメリカのトレーニング動向について研究するようになり、マトヴェーエフ教授のピリオダイゼーションが世界に与えている影響を強く感じた。その後マトヴェーエフという名前を何度も論文で書き講義や発表で口にしてきた。

しかし、なぜかマトヴェーエフという人物そのものはきわめて遠い存在で、すでにこの世にいないかのような(失礼!)錯覚に襲われることさえあった。

その張本人が目の前にいてスポーツトレーニングについて情熱的に現在進行形で語っておられるということに強い感動と言うよりも一種の不思議を覚えた。決して一気にすきっ腹に入れたマトヴェーエフ教授ご持参のウォッカのせいではない。

私の知りうる限りでのスポーツトレーニングの研究や実践の歴史が一気に数十年過去に逆戻りし、そしてそこから一気に現在そして未来に向って加速した。まさにバック・ツー・ザ・フューチャーである。

今、NSCAを中心とするストレングス&コンディショニングにおけるピリオダイゼーション研究とそれに基づくスポーツトレーニングの実践は、レジスタンストレーニングの量と強度の変動によって筋力、パワーおよび関連した運動能力の向上にあまりにも限定されすぎている。このことに違和感を覚えつつ、一方で研究の厳密性という点ではそれもしかたのないことであると考えていた。

しかし、今日、マトヴェーエフ教授の講義を拝聴し、本来のピリオダイゼーションはもっと幅広くそして深いものであることを再認識した。スポーツ選手の最大パフォーマンスをいかに合法則的に達成するかというきわめて総合的な科学であり、そして実践的手法である。

科学のためのスポーツではなく、スポーツのための科学というマトヴェーエフ教授の一貫した基本姿勢に接することで、現実のコーチングやトレーニングの抱える問題をいかに科学的に解決するかというスポーツ科学とスポーツ科学者の役割を歴史の重みという誇りを持って自覚することができた。

今後の研究・実践活動にとって重要な節目となる貴重な時間であった。

このような場を設定し、お誘いいただいた兵庫大学の魚住教授そして大阪体育大学の方々に深く感謝いたします。

 

大学講師

とにかく、熱心かつ丁寧に御説明されている姿に驚きました。えてして、偉大な研究者や第一線で御活躍の方に質問をさせて頂くと、時間等の関係もあるのでしょうが、やんわりとした一般論やごく簡単なお答えが多く、なかなか深く、熱心にお答え頂けないのが常です。

質問の仕方や内容が適切でないことが多いのも事実ですが、答えよう、伝えようという熱意も重要な要素だと思います。

その点、先生は、尐しでも理解しあおうという共通認識をお持ちになって、ジェスチャーを交えて熱心にお話になられました。その姿を見て、指導者とは、コーチとはこうでなければならないと実感しました。そして、あの熱意、パワー、あくなき探究心がこのような偉大な実績を残すのだと感じました。

余談ですが、その話しぶりに、時々、大統領の演説でも聞いているような感じさえしました。それくらい言葉にパワーを感じました。

「評価は歴史がくだす」とさらりとおっしゃっていましたが、そんな言葉を言える実績、自信にあらためて驚嘆したと同時にそんな仕事をしたいと若輩ながら思いました。そして、先生は今後、より多くこうした機会を頂き、トレーニング理論の発展に寄与していただけることを希望致したく存じます。

 

日本スポーツトレーニング研究所

「偉業を成し遂げた人物は、その業績に値する人間性を備えているものである」。これは、先日、刊行された『スポーツ競技学』の「訳者のことば」中に「スポーツトレーニングにかかわる者で、「マトヴェーエフ」という名前を知らない人がいるのだろうか。

もし知らないというのなら、それは非常に恥ずかしいことであり、スポーツトレーニング理論を知らないといわれても仕方がない。それほどスポーツトレーニングの理論家として、また体育理論の理論家としても偉大な方である・・・」と紹介されているマトヴェーエフ博士に出会い、その際に私の心にたいへん強く感じた博士の人物像についての表現である。

文頭にある博士の人物像に対する私の印象は、先日(9月22日)行われた大阪体育大学におけるマトヴェーエフ博士の講演において受けたものである。この歴史的な講演に若輩者ながら魚住先生のご厚意により参加させて頂いた。講演の内容に関しては、多分、後日、HSSRのサイトで紹介されるであろうから、ここでは触れない。

講演とその後、博士を囲んで行われた懇親会を通して約4時間、博士は、正に「Scholar」であり「Philosophy of Doctor」であった。

博士の一言一句は、情熱的で底知れぬ深遠から湧き出る大海のような印象を放ちロシア語を理解できない私にも、その意味の深さと重みと博士の人間としての重厚さが伝わってくるものであった。また、決しておごらず謙虚で、常に周囲への感謝と配慮を怠らない、言葉を選び、常に人々を引き付ける。それは、高尚な宗教家や哲学者、また達観者のようでもあった。

参加者の1人から「低酸素環境におけるトレーニング」についての質問がなされた。博士は、おもむろに「トレーニングの量と負荷」について情熱的に語り始めた。しかし、それは、本題の「低酸素環境におけるトレーニング」とかけ離れた内容であった。その説明は、数十分にわたった。

その後、おもむろに質問の本質である「低酸素環境におけるトレーニング」に関して話が進んだ。そして、しばらくすると博士の話は、「低酸素環境におけるトレーニング」の話から他の話題へと移って行った。30分ほど話されたであろうか。

また、他者からの異なる質問に対しては、人間としての生き方、人生とは・・・と、まるで哲学の講義であろうかと思われる話にまで発展して行った。実は、この一見、的外れ的な話の流れが、私に博士が正に「Scholar」であり「Philosophy of Doctor」であることを強く印象づけたのである。

質問者は、多分、自分の質問に対して端的な見解を期待していたと思う。例えば、たいていの質問者が予測する答えは「えー、低酸素環境におけるトレーニングに対する私の考えは・・・」というようなものであったり、また普通であれば答える方も「低酸素環境におけるトレーニング」のみに関して返答をしたりするものである。

なぜ、博士は、「トレーニングの量と負荷」の話から始めたのか?また、なぜ、博士の話は、「低酸素環境におけるトレーニング」だけに留まらず、まるで思いつきのようにさまざまな話に発展したり、人生の意味を説く哲学にまで話が及んだりしたのであろうか?

その答えは、「木を見て森を見ず」という言葉の中にある。あるいは、「スポーツ競技学」の「スポーツ....理論とは、スポーツの本質を究明し、社会において果たす役割を考察するとともに、将来における発展の...............................................可能性を総合科学的視点でアプローチする研究分野である..........................」という一文にある。

ある事柄を一元的、局所的、狭小的、特定的、限定的に観察・考察すると物事の本質を見極めることができない。多角的に総合的に観察や考察をすることで物事の本質が見えてきて、且つそれは無限の広がりを持つのである。

博士は、こうも言われた。「学者として研究室からスポーツを観察・考察したり、あるいは、研究者の道からスポーツの世界に入ったりすることはよくない。実践から得た経験や知識を研究の場で実証することが最も正しく重要である」。また、ある事柄に対して「人間というものは、そういうものである・・・人とは・・・」と哲学的な教えを述べられた。

これらの言葉は、スポーツとは単なるレクリエーションやレジャーの一環であったり、あるいは、競いごとであったり、金儲けの手段であったり、狭義な学問分野であったりするのではなく、人間事象の総合科学的学問であるということを示唆しているものである。スポーツは、人間形成に大きく寄与する人類に与えらた手段であると言えるのではないか。

また、博士は、言葉にこだわる。正確には、言葉、特に用語の持つ意味を精査し、その使い方の妥当性を思慮される。例えば、「スポーツ競技学」の中においても用語の解釈に多くのページを費やしている。「発達と育成」、「適応と順応」、「試合と競技会」「モデルとモデル化」あるいは、「スポーツという用語の起源」などなど、列挙したら枚挙に暇がないほどである。

博士が発せられる言葉は、重厚で豊潤な響きを持ち心に深く染み入る。以前に魚住先生から伺ったことがあるが博士に1つ質問をすると、それに対して博士が見解を述べられたら数時間を費やされることも珍しくないそうである。

今回の講演でもそうであったが、参加者の質問に対して非常に丁寧に多くの時間を割き、さまざまな例を挙げ説明されていた。博士は、話のところどころで「この言葉は、日本語の中にあるのか?」あるいは「日本語では、どのように表現されているのか?」というようなことを通訳の方々や我々参加者に確認されていた。

我々は、平素、何気なく「試合」「競技」「発達」「育成」などさまざまな言葉を、その意味を解せずに自分達にとり便利に安易に使用している。これらの安直な行為は、スポーツを真の人間科学の学問として成立させることを願っている我々自らが、その確立を妨げているのではないかと思わされた。

博士が「言葉」や「用語」についてこだわり、言葉の本質を究め、その造詣を深め、吟味し取捨選択して発せられることは、哲学に通ずるものであり、スポーツ科学は、「哲学」であると言っても過言でない証拠である。

懇親会の最後に、「スポーツ競技学」に博士のご署名を頂き、また一緒にお写真を撮らせて頂いた。その際、博士は、私の右手を両手で握り、なにごとかロシア語で語りかけてきて。

残念ながら通訳の方がいなかったので博士がおっしゃっている事の意味は、理解できなかった。しかし、熱く強く握りしめて頂いた博士の両手から、また静かに重厚な面持ちで語りかけて頂いた表情から博士の偉大さと威厳、人々を引き付け正しい方向へ導く人間性、研ぎ澄まされた学者としての知識と経験、おおらかな大地のような趣を滲ませるお人柄を感じさせられた。

それは、これまで捜し求めていた人生の師に巡り合ったような、あるいは、魂を揺さぶられたような体験であった。正に、マトヴェーエフ博士は、哲学者であり、無学道者であり、師であり、「Scholar」であり、「Professor」であった。

最後に中国の著名なscholarである諸葛孔明の言葉を紹介したい。「あまねく下の人々をいつくしみ、その信義に隣国も服従する。天文、地理、人事に通じ、その変化に応じてすべてを深く洞察し、全国の人々を一族のようにみなす。そうした人は、天下の統率者となることができる。」

この言葉は、博士の人柄に惹かれ教えを請うて集う人々に対して人種、宗教などの差別なく開襟し、また、スポーツを人間事象として捉えあらゆる学問分野に精通し解き明かそうとし、世界的偉業を成し遂げ、多くの国々で受け入れられ、人々に恩恵を与え且つ進むべき方向性を指し示し、常に新たな発見のために研鑚と努力を惜しまない、偉大なる業績を成した人物、L.P.マトヴェーエフ博士を評する最適で絶対唯一の言葉であると考える。

今回、このような人生における一大転機となろうかと思われる出会い、また一生の宝となる思い出を作らせて頂けた魚住先生に心より感謝致します。本当ありがとうございました。спасибо!(スパシーバ!)

 

女子短期大学専任講師

私が大学院の頃(1984~85)、マトヴェーエフ理論の邦訳文献を専門誌で読み、大きな刺激と重要性を感じ、共産圏諸国のトレーニングシステムに興味を抱き、以来「トレーニング学」を自己の生涯研究領域にしようと誓い現在に至っております。

今回の魚住先生の私的招聘によるマトヴェーエフ博士の講演に参加し、博士の情熱とトレーニング学に関連する諸分野の博識には驚かされました。講演では周期論のマクロシステムについて種々の事例と収集データを元に、スポーツ・フォーム形成にとって自然現象的法則に基づくものであると力説されました。

マトヴェーエフ理論は開業医が患者に診断及び処方するのと同様、指導者が選手の反応を診ながらトレーニング条件を設定し、実践させていく上で重要な基礎理論であります。スポーツ実践指導者にとっては最も重要であるスポーツトレーニングの原理・原則がこのマトヴェーエフ理論なのです。

博士の英訳本、邦訳本を読みこなせるにはスポーツ科学全般に渡る基本知識のバックグランドも持った上で、じっくりと考察する必要がありますが、トップ競技者育成にとっては心臓中枢となる必要不可欠な理論です。

マトヴェーエフ博士は過去に中国に20数回講演、旧東ドイツ五輪委員会コンサルタントをはじめとする各国のトップコーチ教育をされたという事から、その成果は確実に構築され、昨今の五輪、世界選手権での活躍の源となっている事も伺わせます。

今回のせっかくの来日機会を日本体育学会(9.27/熊本)だけでは無く、JOCや各競技団体の強化責任者へも門戸を広げ、五輪前年というタイムリーな時期に本当の意味での「トップコーチ教育」も必要では無いかと私見ながら感じました。

講演後、出席者と博士を交えての飲食を兼ねての懇親会も行われ、和やかな中「低酸素トレーニングの是非」や「トレーニング負荷条件の客観的評価」等についての実践論的な質問も交えながらの有意義な時を過ごす事ができました。

この様なトレーニング学の神様とも言えるマトヴェーエフ博士に直接お会いできる貴重な機会を与えて下さった魚住廣信先生(兵庫大教授)、渡邊謙先生(鳴門教育大教授)、田村清先生(大体大学長)をはじめ、今回参加され、常に若手指導者に刺激を与えてくださる村木征人先生(筑波大教授)らと知的探求心を共有できた事に感謝したいと思います。

今回を機に日本でマトヴェーエフ研究会が小さいながらも発足し、日本のスポーツコーチ教育の一助になれる事を切に願って参会の報告とさせて頂きます。

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