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マトヴェーエフ氏来日-その2|ニュースレターNO.080

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マトヴェーエフ氏は9月29日関西空港から無事帰国されました。10日間という短い期間でしたが、何とか喜んで帰っていただきました。この間、いろんな方々に御世話になりました。感謝に耐えません。

大阪体育大学でも、日本体育学会でも反響がよく、マトヴェーエフ氏の話を聞いて日本のスポーツ界で何がたりないのか素直に理解できたことと思います。何が大事かということは、基礎のレベルを地道に計画的に高めていくということです。

そこには、何々理論がどうのこうのといったことは何ら問題とはならないのです。大事なことは、選手の身体、身体能力の土台を1つ1つレベルアップし、それを総合してパフォーマンスに結びつける長期的なプランが必要であるということです。そのことをまた教えられました。

そして見送りに行った関西空港で、最後の話が聞けました。それこそ弁証法に基づいたマトヴェーエフ氏のスポーツトレーニング理論の根底をなす話でした。アルコール、タバコ、カフェインの話になりました。これらはいずれもスポーツ選手には禁忌とされているものです。

我々の考え方では、すべて健康に、スポーツに害を及ぼすという判断しかありません。しかし、マトヴェーエフ氏いわく、アルコールは緊張を緩和し、射撃などの正確性を高める効果がある。タバコも悪い空気での抵抗力を高める効果がある。

カフェインは短期間であれば持久性に効果がある。というように、「何でもよい面と悪い面の二面性を必ず持っているものであり、この世に人間に悪影響を与える物質はひとつもない」とおっしゃられました。否定するより、そのもののよい点を見抜きなさいという示唆であったと思います。

まさに物は使いようだということです。皆さんもぜひマトヴェーエフ理論に触れてみてください。「スポーツ競技学」がどれほど理解できるでしょうか。その理解度によって、真の指導者になれるかどうかの尺度になると思います。ぜひチャレンジしてください。

前回のニュースレターに引き続き、講演会に参加された方、ならびにマトヴェーエフ氏の滞在中にご協力いただいた方々の感想を紹介したいと思います。

 

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スポーツ系会社

私のマトヴェーエフ氏との出逢いは、私がまだまだ現役の競技者であった学生の時に購入した「ソビエトスポーツ・トレーニングの原理」(白帝社)という書籍でした。当時は内容を理解できずに読むのが苦痛で、読むというよりも眺めただけでずっと本棚の飾りなっていました。

それから十数年が経ち、HSSRプログラムスの活動を通して魚住先生からマトヴェーエフ氏についての話をお聞きする度に、マトヴェーエフ氏の研究の偉大さや魅力を感じていく自分がいました。現在競技者の指導にも研究職にも就いていない私ですが、スポーツにかかわる者としてマトヴェーエフ氏の来日の場に身をおくことの意味を感じ、仕事を休んで参加することにしました。

さて、講演で印象に残った内容は「シドニーオリンピックで自己記録を更新した選手は14%であったのに対し、ソ連時代のオリンピックでは、ピリオダイゼーション理論によりコンデションをコントロールし、89%の選手が自己記録を更新していた」ということです。

私が競技者であった頃はもちろんのこと、現在でも自分の狙った試合に自己ベストを出すことは難しく、それをコントロールすることは現実的には難しいと思っていたので、89%という数字をお聞きしたときには驚き、そして素朴な疑問を感じました。

その疑問とは、このようなすばらしい実績をもったマトヴェーエフ氏のピリオダイゼーション理論を、どうして日本のスポーツ界で注目し発展させようとしなかったのだろうか?ということです。オリンピックに出場する選手は、子供の頃に、オリンピックを観て感動し、『私もオリンピックに出て活躍したい!』という夢を持って出場しているに違いないのですが、現実はほとんどの人が自己ベストも出せずに敗退し悔しい思いをして帰国する。

というのが私のここ数年の日本のオリンピックの印象です。

その悔しい思いをした選手や彼らの指導者は、この89%の選手が自己ベストを出せたマトヴェーエフ氏のピリオダイゼーション理論を知っているのでしょうか?知っていて参考にしないのは彼らの自由ですが、もし知らずしているのであれば、スポーツ科学の研究者の怠慢ではないでしょうか?

参加者からの質問で、日本のスポーツ指導者と研究者との確執についての話題に対して、マトヴェーエフ氏は、「スポーツ指導者もスポーツ研究者もスポーツがあり競技者が存在してこそ存在意義があるのであり、彼らのすべての活動は競技者がより高いパフォーマンスを発揮させることに集中しなければならない。」

「指導者であろうが研究者であろうが、彼らの活動が本当に競技者のために行われているのであれば、その確執など気にする必要もなく、いつの日か問題はなくなる」とおっしゃっていました。

その言葉に、これからの日本のスポーツ界の発展のヒントを感じながらも、スポーツの脇役であるはずの指導者や研究者の方が脚光を浴びる現在の日本のスポーツ界の歪さが日本のスポーツの発展を妨げているのではとふと感じました。

最後に、日本の陸上競技の跳躍種目は世界に通用するとのお言葉は非常に嬉しく思いました。また、マトヴェーエフ氏のスポーツを語る一言一言から、氏が本当にスポーツを愛し、スポーツに対して情熱を注いでいることを感じる反面、スポーツ科学を語るときのあくまでも論理的で客観的な見地からの冷静な発言が非常に印象的で、仕事に対する姿勢として見習いたいと感じました。

力強い字でサインを頂いた「スポーツ競技学」の書籍と、マトヴェーエフ氏との2ショット写真は、スポーツに関わる仕事をさせていただく上での拠り所として大切にしたいと思います。また、このような機会を頂いた魚住先生に感謝して締めくくりたいと思います。ありがとうございました。

 

プロ野球球団職員

今回、魚住先生からマトヴェーエフ博士の講演を聞きにこないかとお誘いいただき千載一遇のチャンスと思い参加させていただきました。

スポーツ理論の権威者であるマトヴェーエフ博士についての自分なりの知識と先入観をもって博士にお会いしましたが、実際の博士はスポーツの権威者というのみならず、人間性そのものに情熱と豊かな愛情があふれ、何よりそのご年令からは想像もつかないほどのパワーを感じました。

そして、その講演内容を聞くにつれ、日ごろ魚住先生が実践されている指導がマトーヴェフ博士の教えを根幹としたものであることを実感いたしました。

たとえば、魚住先生と出会ってから18年が経ちますが、私たちが指導してもなかなかよくならない選手を先生が教えるとその場でよくなるという現実をよく目のあたりにします。なぜよくなるかというと、それはその選手にとって一番適したアドバイスをされるからです。一番適したアドバイス。

言葉にすれば簡単ですが、指導する場合においてその選手に適した教え方、それは一番難しいことです。それを先生は、いとも簡単にやってのけられます。もちろん先生には膨大な蓄積された知識と経験があるからできるのでしょうが、私たちも自分が勉強してきたことや経験を踏まえて選手を指導しますが、なかなか先生のようにいきません。

なぜ先生のようにいかないかというと、それは一人よがりの指導になるからです。自分が勉強してきたことや経験してきたことが絶対で、そこからしか見ようとしないので、そのため選手に適した教え方、アドバイスができないでいるからです。選手個々のレベル等、いろいろな要因を考慮し、柔軟性をもった指導を行うべきであると言うことです。

自分の知識の浅さから、まだまだ博士の講演内容を100%理解し、実践することは難しいながらも、魚住先生のご指導のもと、一つでも一歩でも博士の理論を実践できるよう努力したいと思います。

最後にこのような素晴らしいチャンスを与えていただいた魚住先生に深く感謝いたします。

 

専門学校講師

今回、L.P.マトブェーエフ博士の来日に伴い大阪体育大学にて講演会が開催されることになり、魚住先生のご厚意により出席させていただく事が出来ました。

講演会での主な内容としては、マクロサイクルの各ピリオドにおけるトレーニング・競技活動上の自然現象的なピリオダイゼーションとしての、スポーツ選手の能力発展の段階性・人体の免疫変化の仕組み等について約2時間にわたり、丁寧で時にはジェスチャーを織り交ぜながら熱く情熱の篭った講演でした。

その後、食事会を兼ねた懇親会も開催され、私も途中所要のため一時退席しましたが出席させていただきました。そこでは、出席された方々からの質問に対して博士がアドバイスされるといった内容で講演会とは一味違ったものでした。

講演会、懇親会を通じて(約5時間)まず感じたことが、今年で79歳になられた博士ですが、その年齢を全く感じさせないパワーの持ち主であるという事でした。ロシアから来日されて幾日も経っておられないにもかかわらず、疲れを感じさせないどころか逆に、時間が経つに連れ生き生きと元気になられているかのようにさえ感じられました。

そして、一番印象に残った言葉が「評価は、歴史が下す」でした。これは、懇親会の場で、ある出席者の方から低酸素トレーニングについての質問があり、それに対して博士が幾つかの具体例や説明の後、最後に発せられた言葉でした。

博士にとっては何気ない一言であったかもしれませんが、しかし、その言葉の裏には博士が今までに積み重ねてきた実績と経験があるからこそ出てくる言葉であり、簡単に出せる一言ではないと感じました。何時かは私もこの言葉が何気なく使える日が来るように更に邁進していかなければと痛感しました。また身勝手かもしれませんが、そうなるように博士からのメッセージを頂いたようにも感じました。

後日の事ですが、博士に私的にお会いする事が出来ました。その日は、博士が鳴門から大阪へ移動される日で、それに同行させて頂きました。講演会で一度お会いさせて頂いた時に受けた印象(先に触れています)とは打って変わり柔らかく、そして暖かさを感じました。

車での移動であった為「鳴門の渦潮」を見ていただけると良かったのですが、その日はあいにくの悪天候のため実現できず心残りとなりました。大阪に移動されてから夕食までにまだ時間があったため、移動の疲れを取っていただこうと思いマッサージをさせて頂きました。話によると博士は今までに一度もマッサージを受けたことが無いと言う事で、初めてマッサージをした人間として博士の記憶に残っていただけたら幸いです。

ただ、私の記憶の中にはしっかりと残っていますが、マッサージをさせて頂いて感じたことですが、先に博士が今年で79歳になられのですが、それを感じさせないと触れましたが、それは、身体においても言えることでした。実に若々しいものでした。

その後、夕食までに時間が残っていたため博士と魚住先生、そして、私の3人で約1.5時間の間沢山の話を博士から聞かせていただきました。

酒とコナャックの原材料から製造過程の相違についてなど(博士は、お酒がお口に合うらしくお酒を3人で飲みながらでしたが)その内容は博士にとっては雑談であったかもしれませんが、私にとっては全てハイレベルで重要な内容であり博士の知識の広さを垣間見、まさに「1つに秀でる者は、全てに秀でる.」そのものでした。

ロシア語の解らない私たちのために、身振り手振り、そして、イラストと尐しでも私たちに解るようにお話していただいた事を厚く感謝いたします。

今回このようなL.P.マトブェーエフ博士に直接お会いできる貴重な機会を与えてくださいました魚住先生、大阪体育大学の田村学長、誠に有難うございました。心より感謝いたします。この場をお借りしてお礼申し上げます。

 

コンディショニングルーム代表

今回、いつも魚住先生にお世話頂きご教示いただいている関係から、マトヴェーエフ氏を魚住先生が私的招聘されるとお聞きし、何かお手伝いできることはないかとお尋ねしたところ、多人数が乗車できる車がいるとの事で僭越ながら運転手を買って出ました。いかはその帯同記です。

9/20
関西空港にお迎えに、魚住先生は無事乗られたのか心配され、それを聞いた渡邊先生は搭乗者名簿を調べて貰いましょうか?と本気で言われ・・・約1時間ぐらいの遅れで無事到着、魚住先生も渡邉先生もマトヴェーエフ氏と熱烈な抱擁です!私は初めてお会いする方でそれも偉大な博士ですので、身も心も一歩引いた場所で歓迎いたしました。

その後、ホテルのチェックインまで魚住邸でご一行をおもてなしされました。その席でマトヴェーエフ氏は自ら持ってこられたウォッカを出されて皆で乾杯を致しました。

マトヴェーエフ氏はウォッカの飲み方をご教授され、皆さんはマトヴェーエフ氏に薦められるままに魚住先生も渡邊先生も上機嫌で場はいい雰囲気で進みました。

マトヴェーエフ氏は今回のマトヴェーエフ氏の翻訳『スポーツ競技学』の出版に際し、世界でたくさん私の翻訳本が出版されているが、その中でも、魚住・渡邊、両先生の本はすばらしいと言われ大変褒めておられました。

氏のお話を聞いていると世界の色々な事に精通されておられ、スポーツトレーニング以外の話題でも尽きることなく話されます。博士はその理論の根本は哲学ではないかと思うほど、一つ一つの話題に対して丁寧に本質を追求されてこられた話をされます。

そのつど魚住先生の奥様に感謝と言い、いろいろな題名をつけて乾杯をされました。私はこの方たちと今日会ったような気がしないほど、人を引き込む魅力は素晴らしいもので魚住先生が毎年モスクワを訪れ、博士を個人的に招聘される意味が実感を持ってわかりました。

その夜はホテルで歓迎の夕食会でした。魚住邸でもホテルでも私が飲まない事に通訳の方に(レギーナさん)イワイはなぜ飲まないのか、
と何度も聞かれ非常に気を使っていただきありがたく思っております。

9/21
この日は、大阪城の観光から始まりました。見学は熱心に見られ、案内をしていただいたボランティアの方の説明を受けながら、質問もされておられましたが、ここでもマトヴェーエフ氏はこの巨大な石の運搬に感心を示され、日本の運搬方法をピラミッドの建設に携わった人たちは見習うべきだと言っておられました。

天守閣は8階ビルなのですが、5階までエレベータでそれも昇りだけ、だから6、7、8階と昇られ帰りは1階まで歩かれたのですが、軽くしっかりした足取りで降りてこられました。博士は愛煙家で喫煙ができるところでは必ず一服されます。でも我々にも、周囲りにも気を使われます。

どこで、喫煙できるか日本語も分からないのに雰囲気で喫煙できる場所がわかるのか、通訳の方に聞いておられるのかそこまでは定かではありませんが?

2時間ほど費やして大阪城の見学を終わり、次は海遊館に向かいましたが、私が予習不足で途中道を間違えてゆっくりと食事の時間がとれず、魚住先生と相談して海遊館近くのお好み焼き屋さんに行きました、大阪名物の食事でしたがあまり進んでいないようでした。昼の食事は尐なめのようです?

さて海遊館ですが、ここでもすごく熱心に見学され2時間ぐらいかかって回ってきました。話をする時間とかはなく、ただひたすら水族館を見て回っただけですが、魚住先生は始めてだったそうです。

魚住先生の奥さんは2回目、それに私は3回目ですがここは何度来てもいいですね。しかし日曜日とあって人は非常に多く私なんかは(背が低いので)人の頭ばっかりで隙間、隙間から見学していましたが本当によかったです。

6時間ほどの大阪観光でしたが、明日は大事な大阪体育大学での講演です。お疲れが出ないことを祈りつつホテルまでお送りし私は帰宅の途につきました。

9/22
14:00 JR熊取駅にお迎えに! 魚住先生の母校である大阪体育大学へ!

講演前に学内の視察です。各研究室に案内されましたが、どの研究室でも博士は熱心に先生方へバイオメカニクス・生化学・心理行動科学など専門的なことを質問されていました。

全ての分野に精通していなければ質問できないなぁーとつくづく思わされました。この後の講演・懇親会については、前回のニュースレターにありましたので控えさせていただきます。帰りはホテルまでお送りいたしましたが、私が乾杯の時から飲んでいなかったのをご存知でよく周りを見ておられます。

逆に気を使わせてしまって申し訳なく思ってしまいました。明日、博士は念願の海釣りで鳴門へ、ご婦人方は京都観光へ。

9/23
朝、10時ご婦人方をお迎えに渡邊先生もマトヴェーエフ氏をホテルにお迎え。京都観光は魚住先生の奥様と前日の講演で通訳された水野さんもご一緒され、にぎやかな小旅行になりました。京都観光は私の仲のいい京都生まれの京都育ちの漆の先生に頼み、まずは三十三間堂で待ち合わせをしました。

国宝観音28部衆像の仏像と1001体の国宝の観音像がまつられています。この建物は120メートル総檜造りで正面に三十三の柱間があることから三十三間堂と通称されている。正式な名称は蓮華王院といいます。次に智積院(ちしゃくいん)です。

ここは元豊臣秀吉が建立した愛児鶴松の菩提寺で、国宝の障壁画名称指定の庭園です。障壁画は長谷川等伯の作で、桃山時代の芸術的作品を代表する世界的名宝です。

等伯の息子、久蔵(25歳)の作桜図で26歳で亡くなり、父等白が人生無常の感を振り切り、自己の生命力を画面一杯に傾けて楓図を描きだした絵画がならんで展示してあります。その絵画を正座をされて見ておられました。通訳のレギーナさんは日本に造詣が深く、9回も日本に来られているそうです。日本人でもこういう場所は知りません。

ほぼ貸しきり状態でした。庭園も名称と言われ観光客が尐ないのは心が癒され京都らしい落ち着きのある見学が出来ました。昼食が終わりレギーナさんのリクエストで竜安寺に着いたのはもう4時前でした、それまでもそうですが、皆さん熱心に見られますので多くは回れません。

でもこんなに熱心に見ていただけると案内するほうも嬉しく思います。さすがにここは見学のレギュラーコースで人を見に来たような感じでしたが、皆さんは座って写真をとられてとじっくり時間をかけて堪能されておられました。ホテルに着いたのは19時30分ぐらいでしたか。明日は、私は仕事ですのでお付き合いできませんが市内で買い物らしいです?

9/25
今日は古都飛鳥です。残念ながら朝からの雨にもかかわらず一行は高松塚から見学です。今回は魚住先生の知り合いの方で飛鳥が好きで6年前から住んでおられる学芸員の方に案内していただきました。

雨が止まずビショビショになりながらも、高松塚の壁画(よくもこんな見事に本物のようにレプリカを造ったものです)、都塚古墳、行く道すがら彼岸花がたくさん咲いておりまして、それを見物する観光客が多く見られ、大きなカメラを背負ったアマチュアカメラマンの方々が沢山おられました

彼岸花を含む風景画の撮影でしょうか?石舞台古墳(雨の中古墳の下まで行き写真を大分撮ってられました)、酒船石(雨がひどく車の中で説明を聞きました)、それから飛鳥寺(ここも車の中で)とそして最後に天武・持統天皇陵を見て高松塚に帰ってきました。

帰りは高速を走らず魚住先生のお宅まで地道を走っていきましたが、道路はそんなに分からないままに魚住先生の案内で走りましたが、往きにかかった時間より早く魚住宅についたような気がしました。魚住先生と高速道路を走ってきたのはなんだったのかと思うぐらいに近かったです。

15時ごろにお宅に着き、魚住先生がこのために用意されたマトヴェーエフ氏にプレゼントされる『マトヴェーエフ氏のロシア語で書かれた論文集』、『中国で魚住先生が発見された博士の中国語で書かれた講演集』を博士に確認し、渡されました。それから体育学会で講演する原稿を最終確認などをしてホテルに帰阪、翌日からは熊本に出発、私は仕事、日曜日に帰阪される伊丹まではしばらくのお別れです。

9/26
14:00伊丹空港着

お迎えに。無事定刻どおり到着され一路魚住邸に、最後の夜は魚住先生のお宅でお世話になるそうです。

お宅に着いてからはお茶とお菓子でお話をしていましたが、各自いろいろとする事があり・・・荷物の整理とか、魚住先生は御自分の部屋で今までのビデオや録音の編集・写真の整理(2組・日本滞在中の写真集になっている)、先生が作られた本・講演の資料集の整理(これら全部を持って帰られるように)、一生懸命造られていました。

私はマトヴェーエフ氏にスポーツ競技学・観光地に行った写真に魚住先生が書かれたマトヴェーエフ氏のピリオダイゼーションの研究論文などにサインをいただき、私が今までに実践でやってきたピリオダイゼーションによるトレーニング指導の是非を伺い教えていただき、私がやってきた指導方針に間違いがなかった事の確認と新たに博士からのご指導を直接1対1で受けられたことは一生涯この上のない光栄な事だと思っています。

こんな事はもう2度とないだろうと思います。(魚住先生に感謝!!)

夕食はマトヴェーエフ氏の奥様と魚住先生の奥様が作られましたが、この日のために、わざわざモスクワからブドウの葉っぱを塩漬けにして持ってこられて美味しいロシアの家庭料理を作っていただき食させていただきました。

私は初めてマトヴェーエフ氏の薦められるアルメニア・コニャックを飲ましていただきました。マトヴェーエフ氏から毎晩のように私に今日は飲めるのかと聞いていただいておりましたので、この日は一緒に飲もうと思っておりましたので、酔ってしまったら魚住先生から泊まればと言っていただいておりましたので心置きなく飲もうと決めておりました。

この一本で終わりだそうです。飲む前にアルメニア・コニャックのいわれのあるお話を聞かせていただきました、それはフランスに工場を買い取られ残っていた(その工場が残したのは100本だそうです)コニャック2本を日本に持って来られたそうです。

1本は釣りにいかれた鳴門で空けられ本当に最後の1本を日本最後の夜に魚住邸で空けてしまいました。本当に美味しかったです。未だに(オーバーではなく)脳に香りというか味が残っています。美味しい夕食が終わり酔いが覚めた時点で、今回最後の博士の講義をお聞きする事に、それは、博士が常々言っておられるスポーツ・フォームについてのお話しです。

1時間15分ほどでしたたが、熱心に語っていただきました、それに魚住先生が質問すると言う形でスポーツ・フォームの語源、ドイツから派生してきた。ロシアではこういう風(スボーツ・フォーム=日本ではユニフォーム)に使われているとか、などなどでした。その後、博士はお風呂に入られ、魚住先生はレギーナさんの荷づくりを手伝い、私は帰宅の途に!

9/29
最後の日になりました。9時にお迎えに! 荷物を車の後ろに載せ往きよりも増えています。いざ関空へ!

名残惜しいですが、お別れです。皆さん抱き合い別れを惜しんでおられました。私も来られた時とは違い抱擁しお別れを!。レギーナさんは泣いておられました。それを見るとこちらも涙が尐しホロっと・・・! 最後は搭乗口への入り口で写真を撮り、荷物検査などで時間を取られながらも、何度も何度も手を振りながら別れを惜しみました。

魚住先生は大学へ。渡邊先生も鳴門教育大学へ。私も仕事へとまた会う日を楽しみにお別れいたしました。長くて短いマトヴェーエフ氏一行の日本滞在でしたが、この光栄ある機会を与えていただいた魚住先生にはどう感謝したいいのか分かりません。

これからもよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。どうもありがとうございました。

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