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『なみあし』の本を読んで|ニュースレターNO.089

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『本当のナンバ常歩(なみあし)』(スキージャーナル 2004)という本が先般発賣されました。著者は久留米工業高等専門学校助教授の木寺英史で、剣道におけるなみあしの研究をされている方です。

二軸理論で言う『常歩(なみあし)』の命名者でもあります。後半は常歩(なみあし)による剣道について書かれていますが、前半は『ナンバ』について解説の解説と常歩(なみあし)を考えつくまでの経過を書かれています。

全体的な視野に立って考察されたことがよく分かりますし、物事のとらえ方についての示唆を与えてくれる内容でもあります。私が指導者に話すこととよく似た内容が多く、非常に参考になる本だと思います。

そこで、皆さんに読んでもらいたいところをピックアップしてまとめてみました。

まず「なんば」の誤解ということで、次のように解説されています。

『私は「なんば」について書かれた文献に目を通すたびに矛盾点を感じてきました。

まず、昔の日本人は行進ができなかったということを取り上げてみましょう。先に述べたように、当時の日本人が音楽にあわせて行進ができなかったというのは確かであるようです。これは、先に尐し触れましたように明治政府がとった一連の教育政策をみてもわかります。

森有礼が初代文部大臣になったのが1885年(明治18年)、小学校令の公布が86年(明治19年)、教育勅語が90年(明治23年)に発布されています。しかし、文部省はこれらの法的整備に先立って79年(明治12年)には、米国帰りの伊沢修二を文部省音楽取調掛に任命しています。

伊沢はアメリカ人メーソンを招聘して「文部省唱歌」を創り、その取調掛が85年(明治18年)に音楽取調所に昇格し、さらに87年(明治20年)には東京音楽学校となって伊沢が初代校長になります。

そして、文部省がこれもの施策を急いだのは、軍隊として洋式軍隊を選んだことと関連があるようです。明治政府は、子どもたちが整列して一定のリズムで行進できるように体育訓練するために、唱歌を作ってその補助手段としたというのです。そして、武智倫によれば当時の日本人が音楽にあわせて歩けなかったのは、その歩き方が「なんば」であったためとしています。

しかし、これを安易に関連づけていいもものでしょうか。確かに、江戸時代までの日本人の歩き方より、膝を上げ反対側の手を大きく振る西洋風の捗き方が行進に向いているということは言えるかもしれません。しかし、「なんば歩き」は拍子に乗っては進めない歩き方だったのでしょうか。

日本人が行進できなかった主な原因は、歩き方にあるのではなく、2拍子または4拍子の音楽をそれまで体感していなかったことにあるとは考えられないでしょうか。当時の多くの日本人にとっては、洋楽の拍子はほとんど初めて耳にするものであったはずです。これらのリズムに体の動きを一致させるということは、歩行に限らず困難なことであったはずです。

近代軍隊のような行進はなくても、日本には参勤交代という制度がありました。宿場への出入りの際は、掛け声とともに、一糸乱れぬ行進をしたことが伝えられています。一種のショー的要素があったともいわれていますが、掛け声とともに進んだということは、ある拍子に体の動きをあわせることができたということです。

このような事例を検討しますと、日本人が行進できなかった主因は、歩き方ではなく、洋楽の拍子に動きをあわせる訓練をしていなかったことにあるように思えてきます。』

次に、「なんば歩きは同側の手足が前に出る」ということについて次のように解説されています。

『これらの根拠は浮世絵をはじめとする動きの中の「静止画」によるものです。これらの「静止画」を見ると確かに同側の手足が前に出ています。しかし、このような「静止画」を見るときには注意が必要です。動きの中でとらえる必要があるからです。

同側の手足が前に出ていたとしても、それらが同方向に動いていない場合もあるということです。実際に動いてみると一目瞭然ですが、普通の歩き方であっても人によって手足が振られるタイミングは同じではありません。そのような中の動きをコマ止めにすると、同側の手足が前に出ている場合があるのです。

・・・・ このように、「静止画」から動きの本質を見分けるのは非常に難しいのです。』

そして、「なんば歩き」は左右の半身を繰り返して歩くという動作について次のように考察されています。

『武智氏をはじめ、「なんば歩き」を左右の半身を繰り返す動作であるとしている根拠は、「なんぱ」の姿勢にあります。「なんば」の姿勢とは「単(ひと)え身」です。「単え身」とは半身です。

半身の解釈も武道などのそれぞれの流派で解釈が違い、完全に相手に対して直角に体幹を向けてしまうことを半身という場合もありますが、ここでは、それほど極端ではなく同側の足と肩がある程度前方へ出ている姿勢を半身ということにします。右自然体、左自然体と同意です。

武智氏およびそれを引き継ぐなんば論では、まず日本人の基本姿勢を半身であるとします。なぜならば、日本人はもともと農併民族であり、その労働に必要な姿勢は半身であるからとするのです。

この論理を「原初生産性」といい、個人個人がたとえ水田耕作から遠ざかっても、以後長くその民族の身体所作を支配すると、三浦氏は主張しています。この「原初生産性」の有効性についてはともかく、農耕民族の労働的姿勢の基本が半身の姿勢であるということは異論のないこととして進めましょう。

問題はここからなのです。さきの引用文中にあるように、武智氏は、日本人は歩行の時も農耕のときの基本姿勢を崩さず、「右足が前に出るときは、右肩が前に出、極端にいえば右半身が全部前に出る」としています。

この武智氏の論を以後のなんば論は見事なまでに引き継いでいきます。そして、日本人はそのような歩き方をしていたから「走れなかった」とするわけです。左右の半身を繰り返すという歩き方を試してください。確かに、歩くことはできても走れません。さらに武智氏は、

「ナンバ歩きに手を振るという説明は正しくない。農民は本来手を振らない。手を振ること自体無駄なエネルギーであるし、また手を振って反動を利用する必要が農耕生産にはない。稲は一定の場所から動かないし、走って追っかけるような生産行動は、ぜったいにない。 (舞踊の芸)」
としています。

さて、このように「なんば歩き」が右右の半身を繰り返すというものであるとするならば、いくつかの矛盾点が出てきます。まず、「なんば」は走れないとするならば、飛脚や駕篭かきはどのような走り方をしていたのでしょうか。武智氏は飛脚は「なんば」の姿勢のまま走ったとしています。

先の「片踏み」のことを言っているようにも解釈できますが、それならば農民も飛脚のように速くなくても「片踏み」で走れたはずです。武智氏は、
「農民たちの動作の基本となっていたのはナンバの動きであり、この動きからは戦闘に必要な機敏な動作が生まれてくるはずはなかった。

今日ナンバの動きは、ほとんど絶えてしまっている。剣道の動きは、ナンバの動きだが、これも現代人にはなかなか難しいようである。 (演劇伝統論)」と述べています。

しかし、この文章も首を傾けたくなります。「なんば」の動きが機敏な動きの基礎をなさないのに、剣道の動きは「なんば」であるとしています。剣道の動きは機敏ではないというのでしょうか。逆に、剣道をはじめ武道の動きが「なんば」であるとすれば、「なんば」はもっとも合理的な身体操作の基礎となる動きであるはずです。

私たちのように身体運動を専門とする立場からは、残念ながら武智氏のなんば論とそれを引き継いだものには疑問を呈せざるを得ないのです。

さらに、現在のなんば論では江戸時代の日本人の歩き方が、明治政府の近代化政策により不連続に変化したとしています。しかし、それまでの日本人が左右の半身を繰り返すというよ現在の歩行の原理とは相容れない歩き方をしていたとすれば、明治政府の政策によってそれほど短期間に、無意識に行われる歩き方が変えられるとは考えにくいのです。

このように考察していきますと、そのような傾向はあったものの、左右の半身を繰り返すというなんば論は再考する必要があると思われます。

私は、「なんば歩き」が左右の半身を練り返すというのは誤解であるとの仮説を立てています。この誤解の原因は、これまで「なんば」について語られてきた特性を安易に結び付けたところにあると思われます。

すなわち、なんばの特性であるとされている「なんばの姿勢は半身である」という事項と「なんばでは同側の手足が同方向に動く」という一つの特性を結びつけたために、「左右の下身を繰り返す」という「誤解」が生じたと考えられるのです。半身という姿勢を動きとしてとらえたことに問題があるのです。

さて、「なんば」の動きが合理的身体操作の基礎であるとするならば、その原理で成り立つ歩行は「左右の半身」を繰り返すような動きではないことになります。ここから、私たちの「なんば」を探求する旅が始まりました。』

非常に興味深い内容が続きます。もっとご紹介したいところもあるのですが、この辺りにとどめたいと思います。他に指導上の「主観的」と「客観的」認識の違いについてや、二軸を操作した走歩行(運動)を「常歩(なみあし)」と名づけるに至った経緯についても書かれています。

そして、右利き・左利きに関係なく、股関節は右より左に体重を乗せやすいという特性があるという新しい発見もありました。このことは現場での指導に大いに参考になるものです。全体に読みやすくなっており、「ナンバ歩き」そのものの考え方を整理するにはよい本であると思います。ぜひ一読されることをお勧めします。また感想をお聞かせいただければと思います。

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