呼吸について|ニュースレターNO.112

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今回のニュースレターでは、呼吸について取り上げました。わたしは学生時代陸上競技の長距離をやっていて、現在週に1~2回ジョギングをしております。そのとき心がけていたことが呼吸によるリズムです。ゆっくり走るときは、「吸う、吸う、吐く」少し速くなると「吸う、吐く」のリズムです。

しかし、走り出したときは、そのような呼吸リズムはなく、途中で気づくことがほとんどです。また終板になれば思い出したように呼吸リズムを整えるといった状況でした。呼吸のリズムで走ると考えていたのですが、そのことが結構つらいものであったことも事実です。

ところが、昨年の暮に読んだ本(「ナンバのコーチング論」織田淳太郎 光文社新書2004)のなかに次のような文章を見つけました。

『小森のコメントー。
「呼吸には外呼吸と内呼吸の2種類ある。外呼吸というのは肺で二酸化炭素を出して、酸素を吸収するというもので、われわれは通常これを呼吸だと思っています。

一方、内呼吸とは身体の中で赤血球が運んできた酸素が炭水化物を燃焼させ、それによってエネルギーを得るということを指します。

で、走るときはどうしても、”ハッ、ハッ、ハッ”という呼吸になりがちですね。なぜ、こんな呼吸になるかと言うと、腕を前後に振るからです。

 

つまり、身体を捻じり戻す左右交差型の走りになり、その結果、身体に瞬間的なブレーキがかかってしまう。このときに呼吸を合わせやすくなり、外呼吸が影響を受けるわけですね。逆に言うと、”ハッ、ハッ、ハッ”というのは呼吸を止めていることになり、だから動きも止まるということになります。

電車に乗り遅れそうになって、駅の階段をダッシュで下りることがありますよね。そのとき、”ハッ、ハッ”と下りる人は、ほとんどいないはずです。

重力に引っ張られた動きだから、身体も息も止めるわけにはいかない。どちらかというと、内呼吸が働いていることになります。それで、電車に乗ってから初めて、”ハア、ハア”と息をする。身体を止めるから、息もそれに合わせて”ハア、ハア”と止まっているんですよ。

だから、理想的な走りとは、階段を走って下りるように重力を利用したものです。身体の中で腕を振るようにバランスをとるナンバ的な走りというのは、呼吸が合わせにくいし、身体が止まる瞬間もない。

 

つまり、息も吸っているか、吐いているか分からないという状態がベストということになります。無意識な呼吸のほうが、効果的なパフォーマンスを生み出すんですよ。』

これを読んでなるほどと思いました。それで、ここに出てきた小森氏の文献を探していたら前に紹介した「ナンバの効用-整体動作がカラダを変える 徳間書店 2004」にたどり着きました。この本の第5章に「呼吸を考える」というところがあります。非常に参考になるところでので、紹介したいと思います。

『「活体」(目的にかなう姿勢で、できるだけ楽に立ち、自然な状態をつくる。この状態は、刺激があった瞬間、即座にギアが入って飛び出すような状態をいうようです)になると「呼吸」が意識できなくなります。

 

「呼吸」は不思議なもので、意識したとたん、ふだん「自然に」できているはずのものが「不自然に」なってしまいます。たとえば「自分は1分間に何回、呼吸をしているのだろうか」などと回数を数えようとしただけで、ふだんおこなっているのとは全然ちがう「呼吸」になってしまって、何も意識していない状態での「呼吸」の回数などわからなくなってしまいます。

 

そして回数を数えようということを忘れたときから、また「自然な呼吸」にもどっています。

だから「自然な呼吸」を手に入れようと思ったら、「呼吸」を考えないことがいちばんです。「意識しない」ことが「自然」だということを理解するうえで、もっともわかりやすいのが「呼吸」だということかもしれません。

「活体」になると、自分がいつ吸って、いつ吐いているのかがわからなくなります。ただ「呼気」と「吸気」が切れめなく、どこまでもつながっているような感じがします。

このような「呼吸」は、われわれがふだんの生活のなかで経験することができないものでしょうか。ただ、「意識していない」状態でやっていることが多く、気がついていないだけかもしれません。

「意識」しても「活体」でおこなうのと同じような「呼吸」しかできない場面があります。これも「活体」でおこなう「呼吸」と完全には同じ感覚ではないのですが、似た感じはあります。

・・・

「ハアハア」という荒い「呼吸」を下りの階段でおこなうと、スピードが出ません。大急ぎで下っているときに「ハアハア」という「呼吸」をすると、動きの流れがとぎれてしまい、階段から転げ落ちてしまいそうになります。そしてもうひとつ、下りの階段を全速力で下りているとき、ヒトはリズムのある動きをしていません。リズムがないので「呼吸」が合わせられないのではないかとさえ思います。

反対に上りでは、ヒトはけっこう「ハアハア」いいながら上ります。これは力を入れるところと、それほど力を入れないところが分かれていて、リズムが作りやすいからではないかと考えられます。ヒトはリズムに合わせて「呼吸」をおこなうものなのです。

ふつうに走ってみてください。走りの技術としては、何種類か「呼吸」のしかたがありますが、ふつうの走りでは一歩ごと「ハア、ハア」という呼吸をするものです。

 

このときは「呼気」と「吸気」の境で「呼吸」が切れていて、連続していません。動作も、腕が前に振られて後ろに振り返されようとする瞬間、これは同時に反対側の腕が後ろへ振られて前に振り返される瞬間でもありますが、動きの方向が逆転する一瞬で「止め」が起こり、ここで「呼吸」もとぎれてしまうのです。

階段を大急ぎで走り下るときは、身体は地球重力によって下にひっぱられつづけていて、その力に逆らわないように動いています。つまり身体はいつも動いている状態であり、地球重力にはリズムなどありませんから、身体もそれに合わせて動くしかありません。リズミカルな動きはできないのです。

その結果として、身体は連続的に、とぎれることなく動きつづけることになるのですが、本来リズムを刻みやすいわれわれの身体も、地球重力に合わせることで、リズムを超高速へ上げていく方向で「無拍子」に近づけていくのです。この超高速の「無拍子」が「呼吸」の切れ目を消してくれるのではないかと思います。

階段を下りきると、そこはたいてい平らな床です。床にたどりついた瞬間に、われわれの身体は、それまで地球重力にひかれておこなっていた連続的な動きをやめ、動きが止まることで「呼吸」のつながりも断ち切ってしまいますから、とつぜん「ハアハア」という荒い「呼吸」が出てきてしまうのです。

身体の動きが連続してしまえば、「ハアハア」という呼吸はできなくなります。それは身体の外部が超高速で動かなくても、内部で動きが連続してしまえば同じことです。つまり「呼吸」はいかに身体内部をつかうかできめることができるものなのです。

・・・

このように「動き」と「呼吸」の関係は、切っても切れないものなのです。だから外見上静止しているように見えても、身体内部が活発に動いているような状態、つまり「活体」になることができれば、「呼吸」もとぎれることなくつながっていくのです。

・・・

「ハッ」とした瞬間、われわれは「わずかに息を吸った状態で止まって」います。これを昔から「息を呑む」といったのですが、「息を呑んだ」瞬間には、身体は「活体」でいることができません。「呼吸」がとぎれることによって、身体の動きもとぎれているからです。

 

この瞬間には、ヒトは外部からの刺激に反応することができなくなっています。昔から「相手が息を吸った瞬間に技を出せ」といわれているのは、こういうこともあるからではないかと思います。

相撲では「ねこだまし」という奇手があります。立ちあった瞬間、相手の顔の前で手をたたき、おどろいた相手が我に返る前に勝負をつけてしまうものですが、これも「予想外のことがおこって「呼吸」がとぎれる」から有効な手になるのではないかと推測できます。

第一章でとりあげた「ナンバ歩き」「ナンバ走り」では、身体内部でおこなう肩の回転が大きな特徴でした。回転運動は循環する動きですから、とうぜん「呼吸」もつながっていきます。だから「ナンバ歩き」

「ナンバ走り」では「呼吸」がとぎれず、「楽に」することができます。平常呼吸とまったく同じというわけにはいきませんが、かなりのスピードで走りながら話せる程度の「呼吸」です。その結果、心拍数が現代風の動きのような高い数値をしめさなくなります。

こういった「呼吸」なしに、超長距離を走りぬくことはできなかったと思います。ヒトは「ハアハア」という「呼吸」を続けるだけで、けっこう疲れるものですから、ウルトラマラソンを1日に2本も走るのと同じくらい走るのであれば、当然このあたりのことも解決できていたにちがいありません。

またとぎれのない動きは「無拍子」につながり、槍などをかまえて突進してこられた場合、いつ逃げてよいのかというタイミングを誤らせる原因のひとつになります。こうしてみると「ナンバ」は「呼吸」という分野でも武術に適した動きであったことがわかります。

 

「呼吸」をつなぐために必要なものは、身体内部での動きのほかにはなかったでしょうか。「活体」は「呼吸」を連続させるためには大きな要素ですが、もうひとつ大きな要素があります。それは「精神的な安定」です。

 

心身は切っても切れない関係にありますから、心が安定しなければ、身体の活動状況も安定はしません。そのために「精神的な修養」を重視し、それを説いた人が大勢いたのだと思います。なかには肉体的な高い次元に到達することなく、精神的な修養の必要性だけを説いたような人もいたかもしれませんが。

精神的な安定だけが得られれば、競技スポーツや武術の世界で勝つことができるのなら、そういった修養を積んだだけの人でも世界チャンピオンになるはずですが、現実はそんなに甘くはありません。自分の身体を使って動いた人の中からしか「神技」に到達する人は出てこないのです。

・・・

心身のバランスというのは「動き」と「呼吸」が「つりあう」ことなのです。そのことに気づいた人のなかから、とても人間業とは思えないような動きが生まれたのですが、よく考えてみれば、それこそ「ヒトとして「自然な」動きに、「自然な呼吸」が宿った」だけで、「神技」こそもっとも「自然な」人間らしい動き」ということになるのです。』

これを読んでからジョギングでは、またあるときにも呼吸リズムを意識することを止めてみました。そうすると確かに楽にジョギングできたり歩くことができます。わたしも自然にといいながら、呼吸に関して自然でなかったようです。「意識」がクセモノですね。呼吸以外にも「自然」でなく、「意識」してやっている事がありそうです。本当に難しいのが「自然」なのですね。

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