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部分で捉える欧米の科学的トレーニング|ニュースレターNO.133

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あっという間に12月に入ってしまいました。少し前に同じようなことを書いた気がしてなりません。一日が、1か月が、一年が加速して過ぎていく気がします。ゆっくり構えて準備する間もない気がします。そんなあわただしい日々をすごしていますが、ここのところ平成スポーツトレーナー専門学校の学生に手を貸してほしいという要望が後を絶ちません。

非常にありがたい御話なのですが、ご希望にこたえられるだけの人財がまだまだ育っていません。本当に世間に出しても恥ずかしくないスポーツトレーナーの素材が不足しているともいえます。やる気のある、希望に満ちた学生が足りないということです。

ただ、学校に来て、授業を受けて、帰りにバイトをしに行く。これではどうにもなりません。実践の現場を提供するのですが、お金がないために時間給の良いバイトにいかなければならない学生が多いことも現状です。

なんとかそのような環境で悩んでいる学生のために金銭面でサポートできる体制が取れるように努力しています。来年からはある程度サポートができそうな状況です。平成スポーツトレーナー専門学校では、インタ-ンシップなどの学外実習のために特別なお金を徴収していません。

無料で実習に出られるのです。そして、ほとんどの実習先では交通費などを補助していただいております。学生に金銭面での負担はほとんどさせないように努力しております。後は、それに答えられるレベルの学生が入学し、それに答えられる努力をしてほしいと願っております。

幸いにも来年の入学予定者は、ほとんどが前向きで、本物のスポーツトレーナーを目指している人たちですので、2年後、3年後が楽しみでなりません。

さて、今回のニュースレターでは、武道家が書かれた本の中から現代のトレーニングについて、どのような問題があるか、その考え方を改めるきっかけとなる情報を紹介したいと思います。著者は、沖繩空手の武道家である宇城憲治氏で、本のタイトルは「武道の心で日常を生きる」(サンマーク出版2005)です。

武道家といえば、ニュースレターでも何度か紹介している甲野善紀氏が出てきますが、身体の使い方について宇城氏の話は甲野氏よりわかりやすいものです。ここでは、トレーニングの考え方というか、身体を鍛えることの本質について書かれたところを紹介しますが、身体操作についても参考になるところがたくさん書かれています。上記の著書だけでなく、数冊書かれていますので興味のある方はさがしてください。

それで、トレーニングの本質はどこにあるかということですが、科学的という言葉が出てきて以来、「科学的分析」という言葉が使われるようになり、動作一つにしてもできるだけ細かく分解していくようになりました。

しかし、動作というものは、動きであり、それを細切れに分解してしまえば一つの静止画しか残りません。その静止画を分析しても隣の静止画とどのように継ぎ合わせればよいのか、画面上では修正できても本来の動きに戻ったときに、どのようにその細切れの動きを修正すればよいのか、むしろそのような修正は無理だといえるでしょう。

「部分を修正して、全体にまとめあげる」、「部分的に鍛えて、それを全体に継ぎ合わせる」、人間は動物であり、動く物ですから、全体的な動きを通じて強化し、全体の動きを通じて部分的に修正していくことが手段としてもやさしいはずです。

また、生体の感覚を大切にすること、その感覚を目安にして動きを覚えることが何よりも大切に思います。だからこそ、「リラックス」や「いいかげん」の感覚が大切なのです。どこかを意識して、集中してがんばることは避けなければならないのです。物事の考え方も、全体を眺め、あまりにも細かなことにこだわりすぎてはいけないということでしょうか。正に、「木を見て森を見ず」ですね。

それから、筋力についても、外面的な筋の大きさが必要なのか、それとも内面的な面から力を発揮するほうがよいのか、むしろ内面的なところから力を発揮する方法がわかっていないのが現場の指導者であるとも言えます。武術・武道は内面から爆発的な力を発揮することで、瞬間の戦いを制することができる技を身につけるために行われているのです。

我々人間が個々に秘めた潜在能力を遺憾なく発揮できるポイントが武術・武道に秘められているのです。それほど深いものですが、見方を変えれば「からだをどのように使えばどうなる」ということを知ることができます。我々はそれを知らないだけ、当然教科書や本には載っていないのです。

頭で考えるのではなく、からだを使って考えることも大事である。すなわち、身をもって体験すること大切さを知るということです。
『ここ二、三十年、スポーツ界では科学的に身体動作を分析し、競技やトレーニングに役立てる傾向が盛んになっています。

コンピューターでフォームを分析したり、筋電図を取って数値的に動作解析をする、最新のトレーニング器具を使って筋力強化をするといった取り組みを、一般には「科学的」と理解しています。動きのメカニズムを分析したり、数字を示されると納得するのが最近の日本人の傾向です。これはスポーツに限りません。

ウェイト・トレーニングによる筋力強化も、スポーツ選手なら当然すべき効果的な手段だと広く認知されています。もしいま、科学的といわれる取り組みやウェイト・トレーニングに異論を唱えたら、「時代遅れ」「非科学的な考え」と批判を浴びるでしょう。

けれど、人間のすべてを数字で表そうとする発想や、それで納得できたと思う姿勢こそ、人間の科学を軽視しているのではないか、むしろ限界があると私は感じます。

約30年間、最先端の科学と向き合い、開発の仕事に携わってきた私はその現場で、「科学とは、普遍性があって、再現性があって、客観性があるもの」と教えられ、肌身にしみてそれを感じて生きてきました。

研究室で語られる科学以上に、現場の科学は生きています。

ここまで私が書いてきた武道は、600年の歴史の中に見いだされた真理であり、その技は何度でも繰り返し再現することができ、しかもひとりよがりでなく相手も周囲の人も認める現実です。まさに「普遍性」があって「再現性」があって「客観性」がある、科学そのものではないでしょうか。

何となく、実験したり数字で証明することが科学だと思い込み、自分の身体の中で起こる真実に自信が持てなくなっているのです。

近代科学の欠点は、分析が主体になっているところです。欧米の文化は、部分を分析し、それを組み合わせて全体を作る考え方です。現代の日本は欧米以上に部分の分析に主眼が向けられています。しかし、部分をいくら分析し、部分を組み合わせても「全体」にはなりません。

いま科学的と呼ばれているトレーニング法や身体運動の理論は、今後解析が進めば進むほど、身体を全体として捉える観点からは説明のつかない事実がたくさん出てきて、矛盾をきたすでしょう。

最近は精巧なロボットの開発が進み、人や動物とほとんど同じ動きのできるロボットが開発されるレベルに達しています。「だから科学の進歩はすごい」という言い方もできますが、現代科学の粋を集めてもなお、人間の持つ機能をすべて再現することは不可能です。

それほど人間は複合的で無限の機能を秘めています。

たとえば、缶コーヒーの缶を何気なく持っただけで、人はさまざまな事実を感知します。缶の中にあるコーヒーの量や温度。もし異物が入っていれば、それを感じることもあります。これらすべてをロボットに感知させようとすると、さまざまな精密な機能を必要とします。その複雑な感知を人間は一瞬で、しかも、手の平で缶を持つだけで行っているのです。いちいち数字や研究データで説明されなくても、「わかるからわかる」のです。

人間には、感知した情報に対して的確に反応する判断力があり、時には瞬発的に、時には滑らかな動きで対応します。

最近の日本人は五感の働きが鈍っている、といわれます。それ以上に深刻な問題は、「人間が五感で感知した情報を常に統合し、人として一体である」という最も大切なことを忘れていることではないでしょうか。

最近の日本人は、筋力、心理、脳といった各部分を断片的に理解したり、改善しようとする傾向が強くなりました。各部分に絞ったほうがわかりやすいし、それで解決できる場合もないとはいいませんが、人を全体で捉える発想や姿勢が根本になければ、本質的な改善はできないと思います。最近は医学の分野でも統合治療の大切さが叫ばれています。

人間を部分的に捉える西洋式の発想に対して、日本では伝統的に身体を統一体として捉える発想を基本にしてきました。

心技体の一致。統一体による内面の気づきへとフィードバックのかかる身体自動制御システムを自分自身の中に築き上げることが大切です。自在の変化は、心技体が一体となってこそできる動きです。しかもそのレベルは、昨日より今日、今日より明日と変化し、成長します。そのことが時代の最先端を行く生き方になると私は感じます。

それを可能にするのが、武道が継承している古伝の型であり、その稽古の積み重ねです。

なぜ筋力を強化するのか?

私はウェイト・トレーニングをしたことがありません。そのかわり、型で鍛えています。

筋肉がないかといえば、かなりあるほうかもしれません。それも、ウェイト・トレーニングでつく筋肉とは、つく場所も、筋肉の質も違います。

たとえば、肘を曲げると、肘の外側にぷっくりと筋肉が盛り上がります。熱心に筋トレをやっているスポーツ選手でも、ここが盛り上がる選手にはまだ会ったことがありません。これは空手の型を繰り返すうち、知らず知らずについた筋肉です。空手で鍛えた筋肉は、場面や必要に応じて柔らかくも硬くもなる、自在の筋肉です。

最近の日本人は、競技力を左右する一番の要素は筋肉だともっぱら思い込んでいる節があります。確かに筋力を強くすれば部分的には力が強くなります。けれど、身体をひとつにして、根本的な力を発揮する、その根源(エネルギーや司令塔)はほかにあります。

多くの人が、各部分の筋力を強くすることばかりに目の色を変えて、心技体を一体化するメカニズム、一体化することで生まれる次元の違う強さや安定感に目を向けないのは残念ですが、そのメソッドに気がついていないから仕方がないのかもしれません。

筋肉をつけるのが目的なら、筋トレはその目的を満たします。筋力を強くすることが目的なら、その目的も果たされます。ただし、ここでいう筋力とはあくまで測定器が示す強さであって、実際の競技の中で同じ強さを発揮できるのか、目まぐるしく変わる実戦の場面で数値どおりの力が出せるのか、その検証はされていません。

すでに書いたとおり、統一体になっているかいないかで安定感が違うばかりか、内側からみなぎる本質的な力に極端な差が出ます。そこを踏まえず、測定上の数値だけを上げてもどれほどの意味があるのでしょう。筋力を上げるのが本来の目的だったのでしょうか。

まず真っ先に、筋力をつけることが本当にその競技のパフォーマンスを向上させるのか、素朴な検証が必要だと考えます。統一体という考えに立てば、それ以前に取り組むべき、もっと素朴で根本的な基本があることに気づくのではないかと思います。これはスポーツに限らず、普段の生き方、人生に対する取り組み方にも通じます。

有名な大学に入るのが人生の目的だったのか。幸福な人生を求めているのか。主客転倒してしまっている場合が、現代の生き方には多々見られます。

「メンタル・トレーニング」が重要だという認識も広がっています。心の間題だけ別にして取り組んだほうがわかりやすい感じはしますが、心と身体は密接につながっています。心技体が一致してこそ統一体が生まれ、最高の状態が得られます。心技体の一致を抜きにしてメンタル・トレーニングをやっても、本質的な成果は上がりません。

人という形を支えているのは心です。また心は、形に支えられています。心と形を別々に捉えていたのでは、ずっと本質は見えないまま成長できません。』

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