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2006年のはじめに|ニュースレターNO.135

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新年おめでとうございます。

2006年もスタートして早10日を過ぎました。今年も、新たな決意を胸に努力してまいりたいと思います。同時に、新たな出会いを楽しみにしております。ホームページを立ち上げてから7年目に入ります。登録会員も1600名を超えました。HSSRのホームページから、そしてこのニュースレ
ターから新たな気づきをしていただければ幸いです。

ここ数年は、私が読んだ著書の中から現場で使える情報を紹介している形になっていますが、紹介された情報をどのように理解し、自分の環境の中でどのように活用できるかという応用問題にもなっていると思います。いろんな情報が氾濫する中で、何が正当で何が正当でないのか、判断していかなければいけません。

現在、正当であると判断されていることが、この先どこまで正当であり続けるのか、だれにもわかりません。「森を見て木を見る」視野に立って、物事を理解していかなければいけません。

いつもそのように思っているはずなのですが、どこかで「木を見て森を見ず」になってしまう事があります。まだまだ勉強不足というか、キャパが足りないのだと思います。この点も今年の課題になりそうです。

さて、この冬休み、すばらしい本に出会いました。筋膜リリースを勉強しているときに出会ったのですが、驚いたことに著者は私どもと同じ平成医療学園の教員の方でした。長く解剖を専門にやられていたことから、筋膜に到達されたのですが、骨と筋肉の解剖学ではどうにもならないことがわかりました。

これまでの解剖学は森を見ずに木だけを見ていたようです。すなわち、森である筋膜を無視し、木である筋肉と骨に集中していたようです。筋膜がなければ立てないし、動けないこともわかりました。

すばらしい先生に出会えたことに感謝し、今年は平成スポーツトレーナー専門学校で解剖学と筋膜リリースを教えていただくことになりそうです。私も解剖の授業に参加しようと考えています。これまで聞いたことのない話が聞けるとともに、森をゆっくり眺められるようにもなると思います。今から楽しみでなりません。

その著書は2冊あります。

1)吉岡紀夫「Fa-ther/筋膜療法 異次元“体のゆがみ“の治療法」たにぐち書店2005
2)吉岡紀夫「“変形/痛み”の治療革命! 筋膜療法Fa・ther」たにぐち書2005

今回は、この2冊の中から興味深いところをまとめて紹介します。少々長くなりますが、非常に参考になると思います。

『筋は、本来、体を動かす組織・器官で、直接的に体の形を支える組織ではない。後述するように、体の形は一連の体を支える組織・構造の膜構造によって支持され保持されていることで、常時、筋には直接的に大きなストレスをかけずにニュートラル(中立)状態の環境を与え、筋の動作で即動作を現す状態を実現している。

脊椎動物の進化の過程をさかのぼると、基本動作の移動は体幹の胴体による蛇行運動からはじまって、四肢の発達・変化から四足歩行、そしてヒトの直立二足歩行を得たが、体幹の胴体による蛇行運動から、体幹の脊柱とその左右にある肋骨の関係は、「体を支える部分・構造」と「体を動かす部分・構造」に区別できる。

体幹の骨組みを「体を支える部分・構造」と「体を動かす部分・構造」に区別したとき、百年余り前から施療対象とされてきた脊柱は、上体の荷重を支えることができても、体幹の形状を自由自在に動かす部分・構造ではない。すると、脊柱の椎骨の配列を整えても、あまり意味はない。

脊柱とその両側の肋骨の関係を、自動車の舵取り装置で、脊柱のステアリング・シャフト(中心を占める支柱)と肋骨のステアリング・ホイール(手で握って回す部分)に例えて考えるとどうなるだろうか。自動車の車輪の方向を変えるとき、ステアリング・シャフトを動かすには途轍もなく大きな力が必要なのに対して、ステアリング・ホイールでは手で簡単に動かせる。

肋骨を動かして脊柱が動かせても、脊柱を動かして肋骨は動かせない。脊柱の曲がり・ねじれに対して、臨床で肋骨に“ずり圧”を行って容易に改善することを体験し、肋骨の形状の変化で脊柱は曲がり・ねじれが起こっていることを知った。言い換えると、体のゆがみの異常な脊柱の曲がり・ねじれ
は、両脇の曖昧さ、胸郭のゆがみ・左右非対称で生じたのである。』

『基礎医学の体の構造は、まず“体を動かす構造”の「(運動の)骨格系と筋系」からはじまり、その前提に“体を支える組織・構造”がある。

映画や漫画に出てくるような骨とその連結部の骨格系は受動運動器とされ、能動運動器とされる筋系の働きによって、運動器系を構成しているが、それでは単なる運動のみが説明できる骨格系でしかない。この骨とその連結部の骨格系では、隣接する骨と骨の間にはドアーのストッパーのような可動域を制限する組織・構造がないので、人体の形状を保持することができない。

隣接する骨と骨の間の可動域を制限する組織・構造は、強靭な骨間隙にある筋膜・靱帯などの膠原線維集合体の膜構造で、人体の形状の破綻を護る重要な役割をしている。この膜構造では、一過性の過度の張力に頑強に抵抗するストッパーがコラーゲンであり、柔軟性はコラーゲンからなる膠原線維の間隙にあるグルコサミドグリカンのヒアルロン酸で得られる。

可動域の制限のない骨とその連結部の骨格系では、筋は絶えず興奮状態を強いられ破綻を意味している。筋で可動域の制限のない骨格系を支えるということは、姿位次第では途轍もない力を頻繁に受けることになり、頻繁に予期できない外力に対応しながら、随意の運動、複雑な複合動作を行うことは不可能である。

筋細胞(筋線維)は、神経細胞とともに分化の極にあり、再生・補充が緩慢で、筋の破綻・損傷は個体の生存がたちまち困難な状況に陥ることから、現状の骨とその連結部の骨格系の定義は考察すると矛盾点ばかりで、即改める必要がある。

本来の骨組みは、骨とその連結部の骨格系が運動器系に属する一連の筋膜や骨膜・靱帯などの膜構造に包括され、骨とその連結部の突っ張りと可動性のほかに、膜構造による柔軟性、強靭性、動きの制限があって、動くための“ゆるい骨組み”が形成されている。

膜構造の存在によって、筋の活動を容易にし、筋の負担は軽減され、破綻・損傷をしないように保護されている。骨組みには、膜構造による強靭性、動きの制限がなければ、人体の支持・保持はできない。

筋膜などの膜構造には神経終末が密に分布して感受性に富むことから、体の形状の状態や変化を中枢に伝えることができ、骨とその連結部+膜構造から構成される骨組みは、体型・運動・感覚の本来の骨組みである。本来の骨組みは、体を支える受動的運動器に留まらず、筋膜などの膜構造によって、体の形状・体つきを現し、体の形状・形状の変化の情報を中枢に伝える器官・構造である。

医学教育での解剖実習は、人体の器官や組織などを観察するために、膠原線維でできた強靱な膜状・板状の仕切り(コンパートメント)の膜構造を取り除き、バラバラに解放して目的の観察が行われている。それは、筋膜などの膜構造の構造は一様で簡単なことから、部分的な顕微鏡像の構造認識で既知のテーマとされてきた。

膜構造が欠落した骨組みでは、体のゆがみ、体のゆがみに由来する痛みや感覚異常に対する施療の対象が不明で、体のゆがみや体のゆがみに由来する痛みの治療法は永久に確立できない。』

『人体の皮膚表面から骨までの体壁の構造は、皮膚(表皮・真皮)、皮下組織、筋膜、筋組織、骨膜、骨組織・骨髄からなっている。

痛みに関する記述や専門書によれば、これらの組織のうちで感受性が高く痛覚があるのは、皮膚、筋膜・骨膜のほか・関節包の線維膜、それらに続く靱帯や腱などのコラーゲンに富む密性線維性結合組織があげられている。この組織に対するアプローチには、ずり圧が有効である。

側頭部の片頭痛や下腿のこむら返りや攣りも、私はその痛みを「筋膜の痛み」と捉えることにより、頚肩部や、下腿の筋膜に対してずり圧を行って解決している。

反対に痛覚が無い、あるいは無いに近いのが、皮下組織、筋組織、骨組織、それに軟骨組織である。繰り返しになるが、感覚の専門書の記述からいえば、整形外科で診療の対象となっている筋や骨組織・軟骨組織には、痛みの感覚が無い、あるいは無いに近いとされている。』

『考えてみると、突っ張り型の骨、軟骨だけでは立つことができない。知識や臨床から行き着いた人体を支持する構造は、突っ張り型の骨、軟骨を、引っ張られ型の骨膜、靱帯、筋膜などが筋を包みながら支持することによって、少しの筋力があれば立つことができ、歩くことができるようになっている。

動物、人体は動くためにゆるい骨組みになっている。それらの組織は人体を支持する結合組織である。人体のゆるい骨組みは、骨や軟骨の突っ張り型の支持組織と、筋を入れる区画(コンパートメント)をつくりながら骨や軟骨を支持している骨膜、靱帯、筋膜などの引っ張られ型の支持組織からなっている。

コンパートメントをなす骨膜や筋膜などの組織学的な構造は、それらの組織標本を顕微鏡で観察すると一度でわかるような単調な繰り返し模様の組織である。

しかし、これらの突っ張り型と引っ張られ型の支持組織で構成されるゆるい骨組みによって体は支えられ、一方では痩せこけて非力な人が姿勢を保持し緩慢でも動作を行え、また一方では、スポーツで展開されるダイナミックな動作のエネルギーに耐えて、超人的な運動の実現を可能にしている。

もしも、このゆるい骨組みではなく、骨と筋のみで身体を支持しようとすると姿勢の保持は不安定極まりない状態が想像できる。姿勢を保持するために、姿勢を保持し筋の協調運動を調節しているとされる小脳の反射機能の情報量は膨大になり、小脳を含めた神経系の負担が増大して、運動性が阻害される矛盾を生じることになる。

医師になる課程では、生命の尊厳を考える貴重な体験の場面として遺体の解剖実習がある。その実習がはじまって間もなく出会う皮下の筋膜は、その丈夫さとボリュームに「これは、只者ではない」という思いをいだく。

しかし、時間的な制約もあって、観察のポイントが筋肉、神経、血管、臓器などの構造や隣接する器官の相互の関係、中枢と末梢との関係などに集中していることから、皮下の筋膜は観察の邪魔者のように扱われることになり、ひたすら時間をかけて取り除く作業の対象になってきた。

ちなみに、人体の解剖実習は、あらかじめ解剖学書で身体の構造を学習し予備知識を蓄えて行われる。そして、それを確認するだけではなく、人体の構造に対して新たな発見にも対応する心構えで行われている。

その目的を果たすために、真皮を含む皮膚は最後まで残すが、人体の解剖実習の作業を簡単に言ってしまえば、骨や筋、神経、脈管、臓器などの間隙を埋めている結合組織(支持組織)を取り除くことである。いいかえれば、身体の中の大小さまざまな区画であるコンパートメント(身体を支持し痛みを感受する組織)が取り除かれている。』

『永く親しまれている解剖学や運動学による運動器系の概念には、既述した医科系の大学の解剖実習と同様に、静的で受動的に身体を支持するコンパートメントの構造が欠落していて、本来の身体の支持および運動系の実態を包括されていない。

従来の運動器系とは、受動運動器(骨格系)と能動運動器(筋系)からなり、骨格の関節の形状による運動性、それに関係する筋の作用・神経支配などを含む運動のみの概念となっている。しかし、それだけでは筋が骨格を動かして運動を行うという認識に止まり、身体を受動的に支持する構造の認識が欠落し、身体の歪みや変形および前述の痛みの臨床的な対象の構造が浮かびあがってこない。

あまりに動的な対象に捉われて、骨格を動かす筋が表の運動器系として、対照的に静的な骨が裏の運動器としてクローズアップされることになり、運動器系のアプローチといえば骨か筋になってしまった。

しかし、前述の突っ張り型支持組織と引っ張られ型支持組織でつくられたゆるい骨組みの環境で運動が行われると考えると、実は筋が柔軟に身体を支えているコンパートメント内で活動することにより、動作や運動を可能にしている。

このように、従来の医学・医療の運動器系の間違った認識が、痛み感覚のない骨や筋を主たる治療の対象にしてしまった。このピント外れが、患者の苦痛の解消を難しくし、微小な身体の歪みや変形でも完全治癒できる治療法のきっかけもつかめなかった。

人体の姿勢を保持する基盤は、動的な筋ではなく、コラーゲンを主成分とする静的な突っ張り型と引っ張られ型の支持組織であるとみたときに、姿勢の良し悪し、すなわち、正常から逸脱した変形は引っ張られ型支持組織の張り方が原因ということになる。

定説のように、痛みの説明には「筋が短縮、緊張すると、そこにある神経や脈管が圧迫されて、痛みや様々な機能障害を起こす」という表現がよく使われる。この状態を解消するには、異常興奮をしている筋の弛緩、脱力させることがアプローチになるが、「筋を緩める」という言葉は日常生活に定着していても、実際には思うように筋を緩めることは難しく、曖昧に処理されてきた。

薬なら簡単・確実に弛緩、脱力ができるが、生命活動を脅かす毒薬であり、曖昧な弛緩、脱力とは無関係である。筋の特性からすれば、実際には弛緩、脱力しても、次々と起こる刺激に対して変化するのが生理的な現象である。

刺激によって一過性の変化は起こせても、次の刺激や、コンパートメントの長短や血液や体液の代謝状態などの環境に応じて、思いとは異なった変化をしてしまう。ということは、筋は次々と変化することから、人為的には自在なコントロールができないことになり、筋を刺激して変化をさせることはできても変形を治すことはできない。』

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