システム現象学|ニュースレターNO.176

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9月もあと尐しとなりました。昨日、ようやく秋の風を感じたように思います。10月に入れば、いよいよ入試も始まります。どんな学生が入学してくれるのか、今から楽しみです。私の方は、今週末から毎週のように講演に出かけます。岡山を皮切りに、旭川、岩見沢、広島、福岡と、主に「スポーツトレーナーの歴史・現状・将来」について話します。

日程や詳細についてはアタックネット(http://www.atacknet.co.jp/)をご覧ください。また、平成スポーツトレーナー専門学校でも10/6から毎週土曜日の午後、公開講座を実施しますので、そちらの方にも参加ください。参加料は無料です。

さて、今回のニュースレターでは、河本英夫著「システム現象学-オートポイエーシスの第四領域(新曜社2006)」という本の中から、指導に役立つ情報をご紹介したいと思います。「システム現象学」というタイトルを忘れて素直に読んでいきますと、動きの指導をする際に役立つヒントが数多く見つかります。

それらのヒントから、どれほど実践に応用できるかということです。新たに何か発見できるはずです。厚い本ですが、特に、「認知運動療法」と「言語行為」の頄に書かれているところが参考になると思いますので、その一部を紹介したいと思います。この頄だけでなく、他にも多くの情報を得られますので、興味をもたれた方はぜひ読んでください。

『認知運動療法の基本的な戦略と呼ぶべきものがある。以下それを列記する。認知運動療法がつくりあげた治療法は、称讃すべきほど、科学的でかつ一貫したものである。だがそれについての説明や解説は、筋違いのもの、無関係のものが意図せず多いのである。実はこうしたことが形成プロセスを問題にする場面では、ごく自然に起こる。こうした領域でこそ、オートポイエーシスのような知と行為の関連を問題にする構想が必要とされる。

認知運動療法では、認知課題の設定において、対象認知を行なわせる。この点が従来の運動療法とは異なるもののように理解されることが多い。たとえば棒の長さを認知したり、空間的な円の大きさを判別したり、空間的図柄の位置を判定したりと、認知を前面に出して活用する。

しかしこのとき身体動作をともないながら、認知が行なわれている。通常の認知では、認知を行ないそれに合わせて行為を誘導するというのが一般的であり、このフォーマットが学習のなかに基本形として組み込まれている。しかし身体動作を行ないながらの認知では、認知から行為を誘導するかたちにはならない。

行為することがすなわち認知であるような場面が基本であり、そこで認知を活用するのである。その場合、認知の関与の度合は、症状のモードと難度によってきわめて多様になる。その活用の仕方が、認知運動療法の基本戦略となる。だがここでは個々の詳細な症例に適合するような事例については語ることができない。

それについては、宮本省三『リハビリテーション・ルネッサンス』を参照してほしい。しばしば認知運動療法については、認知によって運動をつくりだすと言われる。この「認知によって」という語を、個々の現場では、認知とともに、認知をつうじて、認知を手がかりに、認知を補助手段として、認知を活用して、というようなさまざまな認知の関与の度合を示す語によって置き換えていく必要がある。

(1)認知運動療法は、みずから行為するための身体ならびに神経を形成するものであり、その形成の手がかりとして、認知を活用する。そのため認知運動療法は、別名「認知神経リハビリテーション」と呼ばれる。目指されていることは、たんなる外形で判別される運動機能の回復ではなく、また行為とは独立の認知機能の訂正や修正ではない。

(2)行為能力不全(片麻痺、血栓、小脳疾患など)の症例では、そもそも行為する能力が欠落しており、それを形成することが治療目標である。そのさい行為能力の形成に、行為のさなかでの認知を手がかりとして活用する。行為とは独立した認知から、行為能力の形成は誘導できない。動けないものに対して、環境情報から誘導して動けるようになることはありえないことである。

多くの場合、セラピストが支えて他動的に患側の手足を動かす場合でも、みずから動くということの身体感覚(運動感-キネステゼ、体勢感覚、身体内感など)を形成することが治療課題となる。そのための手がかりとして、さまざまな認知を活用する。この場合の治療では、外的知覚と内的な感じ取り(気づき)の二つの働きは、明確に区分しておいた方がよい。

(3)認知課題のエクササイズは、患者の形成段階(治癒段階)に応じて、正解することも誤ることもありうるものを設定し、理想的には、それらが半々になるものが望ましい。学習段階でいえば、ヴィゴツキーの「最近接領域」で、課題が設定される。そのさい棒の長さや空間的な大きさを正しく認知することが課されているのではない。

間違う可能性が半分あるのだから、正しく認知すること、誤ることは、一定の確率で起こる。しかも認知的な誤認が起きることで、動けないようになっているのではないのだから、誤認を正すことが目標になっているのではない。ただし、正しく解答したときと誤って解答したときの身体感覚の違いに気づくように誘導する必要がある。

身体感覚の違いは、気づかれるだけであって、知られたり、知覚されたりはしない。この違いに気づけば、そこが身体感覚の形成の出発点となる。その違いが感じられれば、その場でその感覚を再度イメージしてもらったり、言語化してもらって、身体感覚をそれとして確保することが望ましい。

ほとんどの場合、身体感覚(キネステーゼ、体勢感覚、身体内感)の欠落が、行為不全を招いているのである。対象認知の能力の回復は、自分で動くことのできない人にとっては、それ単独では行為能力を回復できない。意識体験が繰り返し問題にされるのは、対象の認知ではなく、対象認知のさいに働いている体験的な内感を強調するためである。

(4)認知課題のエクササイズは、通常眼を閉じて(閉眼)で行なわれるが、それは第一に身体や身体運動ならびにそれらの内感に注意を向けるためであり、第二にその内感の形成を、眼を開けた(開眼)状態での認知情報との関連で詳細に分節させるためである。第一場面では、体勢感覚と運動感覚との連動、さらに運動感覚と身体内感との連動を形成しており、基本的には体性感覚野と補足運動野との連動を形成していると考えられる。

また第二場面では、開眼での長さや円の大きさの認知を身体感覚と結びつけており、基本的には、認知と身体行為とを連動させる。この場合は頭頂連合野を形成していると考えられる。

省略

(5)小児の脳性麻痺の場合は、事態は深刻である。身体内感が局所的に欠落していることが多く、また運動感をもてないことも多い。セラピストが支えをあたえて他動的に足や腕を動かしても、静止していることと動いていることの身体感覚の違い、動き続けていることと停止していることの内感の違いが、感じ取れないことも多い。

この場合には、運動感を形成し、運動の内感(調整能力)を形成することが難しい。むしろ運動感の手前で、患者の経験の最も動く場所を見定め、動くということ、すなわち静止、移行、停止という身体感覚の違いそのものからつくっていかなければならない。

省略

(8)外科的疾患(筋肉の除去・断裂や関節の骨折)は、脳の機能疾患ではないので、認知機能はほぼ維持されている。そしてこうした疾患にこそ、認知機能は多様で直接的で莫大な威力を発揮する。というのも脳での認知機能の形成の場面は、ほとんど要求されず、十分な働きを前提にしてそれを活用してよいからである。

骨折の場合、運動機能回復だけのリハビリでは基本的にはマッサージ、筋力増強の延長である。ところがどうしても元の状態に近い動きが戻らないことがある。そのとき力を込めて努力すれば元の状態に戻るということにはならない。この局面では、学習と同様に元の状態に匹敵する経験を新たに獲得しなければならない。

肘の関節の骨折では、むしろ力を抜くことの学習が必要になる。たとえば半径の異なるパイプを折り曲げる肘に挟ませて、大きさの認知を誘導することができる。そのときこうした道具を介した認知とともに、新たに身体感覚を獲得しなおしているのである。骨折後の身体感覚を新たに形成するために認知を活用している。

ここで記されていることの要点は以下である。(1)認知運動療法は、行為能力の回復のさいに、認知能力を活用するが、認知能力の有効な関与の度合と関与のモードは、それぞれの症例において多様である。(2)外的知覚と身体感覚の二つのモードが、通常、認知と呼ばれるものに含まれている。行為能力の回復のためには、身体感覚、内的活動感の形成が不可欠であり、それを細かく形成するために外的知覚、すなわち認知を手がかりとして活用する。』

『言語行為は、身体の運動にとって外的ではない。言語が語られる環境のなかで身体を形成し、意識を形成してきているのだから、言語そのものが身体や意識にとって形成要因として関与していることは論理的にはほぼ自明であるように思える。こうした意味での身体の形成に関与する言語行為は、伝統的な発話行為とは異なる局面に力点を置いている。

オースティンの発話行為では、たとえば「私は明日行きます」という発話は、この内容の意味を伝達するだけではなく、「明日行くという私の決意の表明」という行為を同時に行なっている。「彼を押せ」という場合には、行為の内実を指定し(発語行為)、この発話の相手に押す動作を誘発し(発語媒介行為)、さらにそれが一種の命令であることを伝える行為(発語内行為)が行なわれている。

これとは力点の異なる場面で、言語の働きを考えてみる。年をいってからスキーを始めると、見よう見真似で尐しずつしかうまくならず、身体も思うようには動いてくれない。ボーゲン・ターンも見てくれだけは、曲りなりに身についた頃、インストラクターが「今やろうとしていることをすべて言語化して見なさい」と指示をくれる。

動作や身体の重心移動のさいの膝の曲げ方から、腕のバランスのとり方までできるだけ詳細に言語化すると、その後の滑りはずっとなめらかになっている。形成しようとしている身体動作を言語的に表現することは、身体各所と各動作に細かな注意を向けることになり、身体動作の各部位にまとまりをあたえる。いわば言語は、身体運動そのものとは質の異なる身体の組織化を内的にあたえる。このときの言語は、たんなる動作の記述ではなく、経験を形成する詩的活動である。

また片麻痺の患者の治療場面で、たとえば足を動かそうとして、容易には動かないとき、「私はあなたに何をしてほしいと希望していますか」とセラピストが尋ねることが、重大な局面変化を引き起こすことがある。動かそうと介入しているさいには、たとえ現実には足は動かなくても、セラピストの動かそうという意図は伝わっている。

その意図を言語化するように促すことが神経の状態を変えるのである。たとえ明確に言語化できなくとも、言語化への意向を促すだけで、ずいぶんと局面が変わる。志向的意図の確認は、行為の状態に変化をつくりだすのである。

さらに、たとえば腕が思うように動かない人に、思うように動かないあり方に気づきを向けさせるためには、どういう感じなのかをできるだけ詳細に言ってくれるように促すことも有効である。引っかかるのか、重いのか、鈍いのかというような語を引き出すことで、体勢感覚や身体内感に差異をつくりだすことができる。

そのさいには、言語が細かくならなければ、一度「違和感」「停滞感」「不透明感」のような名詞形の抽象語で置き換えて、そこからさらに動詞形あるいは形容詞形の述語で語ってもらう。述語と名詞の間の往復は、言語表現の詳細さとともに、身体内感をそれとして分節的に捉えること、さらにそれを詳細にすることを促す。』

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