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ようやく一仕事が終わる|ニュースレターNO.181

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12月に入りましたが、先月末、今年一番わくわくした日を迎えました。ようやく、マトヴェーエフ氏の著書、「体育の理論と方法論」の校正が途中まで上がってきたのです。翻訳の取り組みから3年が経ちました。

2003年に、マトヴェーエフ氏の著書『スポーツ原論とその応用』を「スポーツ競技学」というタイトルで翻訳出版しましたが、内容が難しかったせいか、一部の限られた人にしか読んでもらえませんでした。実は、最初、今回翻訳出版する「仮題:ロシア体育・スポーツトレーニングの理論と方法論」を翻訳する予定でいたのですが、モスクワでマトヴェーエフ氏と会談していたとき、翻訳を進めかけた直後だったのですが、マトヴェーエフ氏から最新の本が出た。

それはこれまでの研究のまとめであるといわれ、それで急遽『スポーツ原論とその応用』の翻訳に切り替えた経緯があります。大変難しい翻訳で、校正も大変でした。読んでもストレートに理解できないのは、基礎的な知識がないからだと思いました。

何とか、ロシアのトレーニング理論について分かり易いものはないかということで、2004年6月に訪ロしたとき、マトヴェーエフ氏に話をするとやはり原点である「体育の理論と方法論」が最適だということになり、早速翻訳に取り掛かる準備を始めました。時間がかかっても良いから、読んで理解できるものにしたい、という切なる思いでスタートしました。

それで2004年の1月から翻訳に取り掛かかりました。今回の翻訳は、1998年、最初の訪ロから通訳をしていただいている、いつもマトヴェーエフ氏と連絡を取っていただいていたモスクワ在住の佐藤氏にお願いしました。

当初は、全15章のうち11章までの予定であったのですが、2006年11月に11章までの翻訳を終えたとき、せっかくだから時間がかかってもいいからすべて翻訳したいということになりました。そして、ついに今年4月に翻訳が完了したのです。

それからは、来る日も来る日も原稿に目を通し、何度読み返したことでしょう。読みながら理解しにくいところはすべてチェックし、佐藤氏に納得するまで整理してもらいました。佐藤氏は、マトヴェーエフ氏が存命のときはマトヴェーエフ氏に直接、亡くなられてからは奥様のゼムフィーラさんに尋ねていただき、より正確な訳をしていただきました。

原著は、B5サイズで、543頁あります。字が小さいので同じサイズの翻訳書では600頁を超えるでしょう。小文字でつめた原稿がA4サイズで380頁以上になっていました。

原著のタイトルは、「体育の理論と方法論」というように、スポーツ、トレーニングということばは入っていません。この点は、日本との体育の考え方の違いにあります。ロシアでは、体育の概念が広く、スポーツトレーニングが体育の中に含まれています。日本では、体育と言えばすぐに学校体育のイメージがあるのですが、ロシアでは違います。

日本では、「トレーニング理論と実践」ということになるでしょうか。したがって、「体育」を「トレーニング」に置き換えれば、理解しやすいと思います。

内容は、大きく二つに分かれ、「体育の理論と方法論の一般的基礎」と「専門的な体育・スポーツ活動における理論と方法論」とに分かれています。「体育の理論と方法論の一般的基礎」は、三部で構成されています。第一部は、「体育の全般的特性-目的、手段、方法、原則」ということで、「体育」というものの考え方・とらえ方が書いてあります。

ここを読むと、「体育」の奥深さというものが理解できます。なぜ「スポーツトレーニング」が体育の中に含まれているのかが分かりますし、マトヴェーエフ氏が、生前私に「ヒロノブはもっと体育に興味を持ちなさい」といわれたことがわかりました。

第2部は、「体育の内容と方法論の基本的要素」ということで、コンディショニングの内容である調整力、筋力、スピード、持久力、柔軟性について、その理論・考え方とその能力をいかに高めるか、という方法論と指導法が書かれています。この2部だけでも「スポーツトレーニングの理論と実践」とタイトルをつけて出版してよいものです。

第3部は、「体育における課業の形態、計画、管理」ということで、実際の指導の仕方やその計画につい
て書かれています。

「専門的な体育・スポーツ活動における理論と方法論」は、二部で構成されている。

第1部は、「スポーツ、スポーツトレーニング」ということで、主にトレーニング計画について書かれています。

第2部は、「職業訓練」ということで、「体育」と「職業」との関連性について書かれています。

この本は、将来、体育・スポーツの指導者を目指す者が体育・スポーツの基礎理論・方法論・指導法を学ぶための大学の教科書であり、全国共通の教科書になっています。マトヴェーエフ氏が精力をつぎ込まれて書かれたものであることは、これまでマトヴェーエフ氏と話をする中で、毎回「ここに書いてある」示されたことからもよく分かります。

1991年に出版されましたが、再版はされていない貴重なものです。今日まで変わることなくきたのですが、出版後、ソ連が崩壊し、社会情勢が変わりました。それで、内容に現在の社会情勢に合わないところや表現があるので、その部分を修正し、改訂版を出すことになりました。基本的に内容は変わっていません。

昨年、その改訂版が出る予定で、マトヴェーエフ氏も内容は100%変更する意志はなかったが、どうしてもということになり、すべての見直しに取り掛かられました。その作業が2005年から始まりました。それが精根尽き果てる人生最後の仕事となり、病気を重くされ、突然病変を悪化された要因であると思っています。

最終的には、亡くなられる前にすべての修正を終えられたのですが、出版社の勝手な行動で、いまだ改訂版の出版にいたっていません。

日本語の出版をマトヴェーエフ氏も楽しみにしておられたのですが、残念ながら昨年の7月21日に亡くなられました。この本は、何度読み返しても、いや読み返すたびに内容の素晴らしさ、スポーツトレーニングの考え方の基礎が分かってきます。そんな素晴らしい本を何とかわが国の指導者に紹介できるようになった喜びは筆舌に尽くしがたい思いです。

過去にソ連・ロシアのトレーニング関係の文献を見てきましたが、その基本的なところがすべてこの本から出てきているということも分かりました。これまでスポーツトレーニングの理論と実践については、ほとんどアメリカからの情報でしかなかったといえます。ソ連の情報として、陸上競技の指導書としては、何冊か翻訳されて紹介されていましたが、トレーニング全体の理論的なものではありませんでした。

当然、アメリカも米ソの冷戦期間があったため、ソ連の理論を取り入れようとはしませんでした。しかし、ソ連崩壊以降、旧ソ連のスポーツトレーニング理論がアメリカの最新トレーニング法として紹介されるようになりました。その典型がプライオメトリックスです。

指導者にとって体育というものを十分理解し、その中にスポーツトレーニングがあるということから、体育・スポーツという全体を見て、その中にある筋力、スピード、持久力、調整力、柔軟性を高めるための方法論を見れば、指導する上で、いろんな応用が利くようになると思います。基礎が分かって応用に転ずる。その応用力が指導者としての生命でもあり、常に頭を柔軟にしておくことだといえるのかもしれません。

来年、3月か4月には出版できる予定です。最後に、翻訳いただいた佐藤氏の訳者のことば紹介しておきたいと思います。

『もし、象が卵生だったら、つまり象が鳥のように卵から孵るとしたら、その卵の殻の厚さは、どのくらいでなければならないか―。こういう「研究」に生涯没頭しつづけるキーファ・モケーエヴィッチという変人が、19世紀ロシアの作家、ニコライ・ゴーゴリの長編『死せる魂』にでてくる。

この研究は、一見ばかばかしくみえるが、ゴーゴリはかならずしもこの男を嘲笑っているわけではない。というのは、ロシアにはときに、ある遠大な目的に向かって損得勘定を省みず生涯をかけてとりくむ天才が現れるが、キーファにもそうした天才の片鱗がうかがえるからである。そして、レフ・マトヴェーエフ氏はまさにそういう天才だったことを、私は実感している。

たとえば、短距離走の某コーチが、ある尐年を指導するとしよう。もし、まったく労力とコスト・パフォーマンスを無視するなら、その理想的な指導は次のようなものになるだろう。まず、おもな生物学的、生理学的、医学的、力学的等々のパラメータを毎日、いや毎時間測定し分析していく。

そして、その尐年の身体的特性と発達傾向をできるだけあきらかにし、それにもとづいてトレーニングの理想的な負荷と休息(インターバル)をはじきだす。そして、負荷と休息がどういう結果を生み、生物学的、生理学的、医学的パラメータなどを変化させたか、やはり毎時間記録し、負荷と休息を修正していく。

一方、エクササイズも、短距離走という運動の性格にもとづいてできるだけ具体化せねばならない。なぜなら、筋力だけをとっても、短距離走には特有の筋肉の緊張の仕方(および弛緩の仕方)があり、それは、当然のことだが、水泳ともサッカーのそれともちがっているからである。だから、厳密にいえば、マトヴェーエフ氏の
言うとおり、「あらゆる運動に共通する筋力というようなものは、存在しない。

あるのは、個々の運動の具体的筋力だけだ」(2005年9月。自宅でのインタビュー)。というわけで、その運動の具体的特性と尐年の心身の特徴とにもとづいてトレーニングを徹底的に具体化し、毎時間その経過を追い、データを分析し、その結果をトレーニングの方法にフィードバックしていく―。

しかし、こんなやり方はあんまり手間ひまかかりすぎて、土台むりというものだ。とてもじゃないが、そこまで細かく考えていられない。筋力トレーニングだったら、だいたいどの運動にも共通する、ニュートラルな筋力があると仮定して、いわゆるパワー・トレーニングをやればそれでいいではないか。

そうすれば、力(筋力)×速度=パワーだから、スピード-筋力系の運動の筋力は十分養成できるだろう―。これが現在、欧米で主流になっている考え方だが、マトヴェーエフ氏はそうは考えなかった。そして、上のようなトレーニング理論を生涯探究しつづけて、実現してしまったのである。

これがかの名高い「マトヴェーエフ理論」である。しかも、国家の全面的バックアップのもと、この理論を数十年にわたって実践し、ソ連を世界最高のスポーツ王国に育て上げた。

すなわち、全国に同理論を習得した多数のコーチ、監督等の専門家を配置。彼らが、全国の青尐年の各種パラメータを日々記録、分析する。有力選手ともなれば、何年にもわたって厖大なデータが蓄積されており、「コーチ、監督も、選手自身も、どういう状況でどのパラメータをどう押せばどうなるということがわかっている」。

こういう巨大なネットワークを統括する文字どおりの司令塔がマトヴェーエフ氏だった(2004年6月。自宅でのインタビューより)。

本書、『体育の理論と方法論』は、マトヴェーエフ氏の数百におよぶ著作のなかでも、マトヴェーエフ理論の全体像が最もよく表れているもので、題名のとおり体育・スポーツ全般についての一般的理論と方法論である。しかも本書は、生涯の最円熟期にあった氏が、ほんとうに「書きたいように書いた」記念碑的著作で、商業主義や出版社の都合にいっさい煩わされることがなかった。

ただ、この本は、まもなくロシアで改訂版が出される予定であり、それについて一言しておきたい。なぜ、この改訂版ではなく、あえて旧版をわれわれが選んだか、である。マトヴェーエフ氏は、2006年に本書の改訂版を書き上げ、その出版を待たずに世を去った。

この改訂版は、本書とその基礎編、『体育とスポーツの一般理論概論』(2002年刊)の合本で、内容に若干の変更がみられる。変更せざるをえなくなった理由は、ひとつには、ソ連崩壊にともなう政治的、社会的変化である。GTOのような全国統一の体育検定基準は現在なくなっているし、旧版に散見する社会主義的な文言も削除せねばならなくなった。

もうひとつは、ロシアの大学教育制度改革である。大学教育は従来5年制だったのだが、4年制と6年制の2段階が導入されることになり、それに教科書の記述を合わせる必要が生じたことだ(これは、最初の4年間で履修する、これは5、6年で、というふうに)。要するに、変更は、そのほとんどがロシアの「お家の事情」に関係したもので、われわれ外国人にはあまり問題にならない。

しかし、われわれが旧版を選ぶ決定的な理由になったのは、改訂版につきまとう不安感である。現在改訂版の校正をされているマトヴェーエフ夫人(ロシア国立体育アカデミー准教授)によると、出版社がかなり恣意的な「修正」を原稿にくわえているとのことで、正直なところ、マトヴェーエフ氏のオリジナル原稿がどれだけ完全なかたちで出版されるか、心もとない点がある。それでわれわれは、執筆から出版にいたるまで完璧に氏の手に成った旧版のほうを選んだわけである。

さて、大理論家にしてソ連体育・スポーツ界の司令塔だったマトヴェーエフ氏だが、驕ったところは微塵もなかった。私は本書の翻訳やインタビューのために何度もお目にかかる機会をえたが、私の素人くさい質問にも、じつに丁寧に答えられるのが常だった。

「筋力とパワーはどこが違うんですか」というような愚問を発すると、単にその意味をわかりやすく説明されるだけでなく、欧米系理論とのコンセプトの相違といったことにいたるまで、そのまま印刷できるような回答が返ってきたものだ。

はじめてお会いしたのは、1998年3月のことで、当時はまだまだ元気いっぱいだった。魚住先生とともにご自宅におうかがいすると、巨大な朝鮮人参入りのウォッカをがんがん痛飲され、われわれにも振舞われた。料理の名人である奥さまのゼムフィーラさんが料理を披露されるたびに、「おお、すばらしい!」と叫び、そのつど熱烈にキスされる。

また、お好きなオペラを大音量でかけられ、青年のように興奮するというのが、当時72歳のマトヴェーエフ氏だった。ところが、いくらウォッカで陶然としても、話題が研究におよぶと、氏の口からは、ただちに考え抜かれた解答が立て板に水のように流れ出す。まさに人生のあらゆる面において現役で、故岡本太郎氏ではないが、人生が「爆発」しているという感じだった。

2004年6月、アテネ五輪を前にインタビューしたときは、ロシア・スポーツ界の現状について、「まあ、過去の遺産で食っているということだな。ソ連時代のシステムはかなり崩れているが、欲得ぬきで奮闘している優秀なコーチ、監督がまだけっこういるからね。とくに女性にそういう人が多い。男はすぐにめげるが、女性は責任感が旺盛で忍耐強い」。こういう人間知に裏打ちされたシビアな見方をしめされた。

あらゆることに旺盛極まりない関心をもち、存分に楽しまれる。すべてを貪欲に吸収しながら、それを研究上の観点から徹底的に見直し、たえず限界ぎりぎりまで考え抜くことをやめない。これが要するに天才というものであり、こういう努力を生涯つづけることでどれほどの境地に達しうるかということを、私はマトヴェーエフ氏から教わった。

氏の文章もまた、こうした天才だけが書ける隅々まで神経の行き届いた達意の名文である。こんなすばらしい学者と著作に出会い、翻訳、出版の機会を与えられたことに深く感謝するとともに、改めて昨年逝去されたマトヴェーエフ氏に哀悼の意を表したい。』

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