「思ったとおり」とは?|ニュースレターNO.213

いずるいずるが書いたよ! →最新記事一覧

セッションをご希望の方はこちら!

お問い合わせ

スポンサーリンク

4月に入り、平成スポーツトレーナー専門学校も最終の年を迎えることになりました。多くの方々から来年からどうされるのかという問い合わせをいただいております。私としては、これまでの経験から学んだことからの私の考え方や習得した技術・テクニックというものを伝えて行きたいと考えています。

そして全国の多くのスポーツトレーナー、パーソナルトレーナー、治療家、コンディショニング、リ-コンディショニング関係の方々とともにレベルアップが図れればと考えております。今は、優秀なスポーツトレーナーの卵を1つでも多く育てることに全力を尽くしたいと思います。

また、これまでは私の学校でいろんな相談を受けておりましたが、これからは“H.S.S.R.ラボ”で相談に対応して行きたいと考えております。
さて、今回はSportsmedicine 2006 NO.80に掲載されていた徳島大学の荒木秀夫氏のインタビューを紹介したいと思います。テーマは、“「思ったとおり」とは?”ということで、コオーディネーションの視点から思ったとおりに動くためにはどうすればよいか、というものでした。

思ったとおりに動けないのは、自分の感覚と実際の動きにずれがあるからで、そのずれをいかに修正するかということが選手にとって大事なことであり、指導者にとっては「ではどのようにして修正するか」というように指導技術が要求されます。

思い通り動けるようにするためには、「感覚をいじれば動きが変わる」という考え方で、実際に手や足をどのように動かすのかということよりも、どのような感覚で手や足を動かすのかということが指導のポイントになるということです。私の指導も同様で、選手にどのような感覚でやっているのかということから始まり、どのような感覚でやってみてはということで動きを習得させています。

このように考えると、手や足をどのようなタイミングでどのように動かすのかということは意識を持たせた指導であり、手や足をどのような感覚で動かすのかということは無意識の指導ということになるように思います。そこで必要なのがスポーツオノマトペといわれるアドバイスすることばの使い方ということが重要になると思います。

指導者にとっては、非常に参考になる内容です。ぜひ、全文を読んでいただきたいと思います。

『自分が思った動きと違うということが典型的に起こるのは、平衡の能力、バランスに関わるものです。とくに体操の後方回転、いわゆるバク転やバク宙などの練習を行うときは、「頭がこう上がってこのくらいでマットに落ちている」と思っていても、写真やビデオを見るとまったくそうなっていなくて、お尻から落ちていることがある。

最初に加速度が加わったときにかなり回転しているとイメージし、十分回転しきっていてもう尐し頑張れば頭のほうから落ちると思っていても、実際にはほとんど回転していない。あるいは、立った状態から長軸を中心に回転すると、自分ではほとんど1回転しているつもりなのに、半回転をちょっと越える程度で着地しているというようなこともよくあります。

本人としては意外と感じる。このように、イメージが一番ずれやすいのが平衡能力系です。

平衡能力というのは、基本的に重力と闘う、それを制することで安定した姿勢を保つ。その処理が終わると、それ以上はその部分の情報処理をしないようにし、たとえば、速く走る、正確に何かをつかむなど他のほうに資源を配分します。ところが、人間は猫みたいに常に回転して正確に着地するというプログラムが未完成なまま維持されている。

それは、いろいろな場面に適応できるように余力を残しているのですが、回転の能力にしても使わないとそれだけ後退してしまう。

体操でバク転に結びつけようとすると、せいぜい前転や後転を行う程度ですが、それは常に皮膚やからだがマットなどに接した状態で回転しています。すると、瞬間的に地面から離れて回転することはまった

く予期しない事態になります。そのため、ちょっとでも加速度が加わるとすごく回転したように感じてしまう。初心者、一般的な人間の動きはちょっとしたことを非常に過大評価する。ボウリングなどでも、右にガターしてしまったからと真ん中に投げるように自分で微調整したつもりが、左にガターしてしまうくらい過大評価してしまう。

基本的に、運動の学習でも知的な学習でもそうですが、まず過剰に反応し、増えた分を減らしていくというのが生命系の学習の特徴です。小脳などの脳細胞でも、学習すればするほど抑制系の活動が発達します。

子どもがものをつかむときでも、必要以上に屈筋が働き、だんだん特定の指だけのはたらきになり、余分な屈筋のはたらきに抑制がかかるようになる。過大に評価してそれを抑えていくというシステムの流れがあります。そのなかでも、とくに平衡能力では空中に浮かび地面から離れるので、空中に跳んでいる状態のときは極端に高いスキルが要求される。

ものを投げることは徐々に思った距離に近づいていきますが、跳んだ状態だとトリプルアクセルなどにしても地面を蹴った瞬間に成否が決まる。いったん氷からスケートが離れてしまうと、いくら跳んでいるときに手をバタバタしても回れない。その蹴った瞬間の予測を過大評価してしまうことが起こりやすい。

平衡能力、バランスがとれるかどうか。これは空間をつかむにしてもタイミングのとり方にしても大きな土台になっています。コオーディネーション能力にしても、指導者の側からみると、まず平衡のとり方やその特徴をつかむことからトレーニングをイメージしていきます。』

『昨年長距離選手だけを対象にトレッドミルで走らせたのですが、右足は外向きだったり、内へ向いたりと個人差はありますが、同じように接地に入ってくる。しかし、左足は毎回ぶれる選手が多かった。自分では両足とも真っ直ぐ入ってくる感覚が強いのですが、それでも走れているから修正する必要もない。

自分の身体感と言うか、からだの感覚のイメージがどこまで入ってくるかが改善されない限り、自分のイメージする動きと実際の動きにはずれがあるでしょう。そのずれは、ずれたままでもとりあえずは問題がない。ただ、その一歩先に行ったときにわずかなイメージのずれが問題になってくる。途端に何もできなくなるということはよくあります。

単純に両足で立って一歩踏み出す、歩くときの身体の感覚、イメージというのが大事で、この研究室に来る選手がついでにトレーニングを行うことがあるのですが、まず直立、真っ直ぐに立ってもらう。これは運動の基本で、次に「足の筋の緊張を使わないで立ってほしい」と言います。

そのときに筋電図を見せると、筋の放電がかなりある。選手は自分ではわからない。その筋の放電を取るための身体のイメージがない。まさに自分が感じていること、思っていることと全然違うからだの動きをつくっているということです。

皮肉なことに、筋肉がたくさんついている選手のほうが効率の悪い立ち方をしている傾向があります。力を入れる必要のないところに力が入っている。しかし、それでともかくは支障がない。お金のある人はラーメンにするか、チャーシューメンにするか気にしないのと同じです。

ある投擲の選手は「絶対に力が入っていない」と言うのですが、筋電図を見せると力が入っていることを理解する。トレーニングをすることで筋の放電が出ないようになりましたが、そこで自分の足の筋力に頼らず、棒の上に立つようにバランスをとっているというのはこういう感じなのだと気がつく。』

『そうですね。違った状態で、それでもお互いが通じている。たとえば、「スマートsmart」という言葉はアメリカでは「賢い」というような意味ですが、日本では全然違う意味になっている。しかし、日本人同士ではその異なる意味で定着している。これと同様に、自分のからだのイメージと実際が異なっていても支障がないため定着してしまう。しかし、一歩高いレベルへと踏み出したときにその誤差が問題になることもある。

自分が動くことのイメージは時間の問題がすごく大きい。どういうことかと言うと、やって違うと感じるのか、やる直前にその違いを感じるのか。音楽の場合なら、バイオリン奏者は弦を弾こうとした瞬間に、実際に音がするより前にその音が聞こえているはずです。

初心者の場合は弾いた後に音を感じ、判断する。そして、「この音は不快だな」と思い、どう弾けばよいのかを考える。このことを選手に指導するときに、よく順次性と逆次性という言葉を使うのですが、バットを振ったときにどうやってテイクバックをとってボールを打つかを「こうテイクバックしてこう打って、こうフォローがくる」というイメージではなく、たとえば、インパクトの瞬間に手にカツンとくる感覚がありますが、その感覚を探るような導入の仕方をする。

動きは時間でみるとマイナス方向の思考になる。頭の中では「結果がこうなるためにはどうすればいいか」を考えるということです。

以前にも書いた、逆運動学と順運動学の両方が人間には同時に成り立っていて、未熟な状態で自分の身体の動きのイメージがない場合は常に後手になる。何か動いたときにどうだったという結果が出てフィードバックされ、大雑把なイメージができる。しかし、動きに慣れてくると先のほうのイメージが重要になってくる。

こういうふうになるであろうという仮説があって、その仮説にどれくらいまで近づいたか、合っているのか、合っていないのかを考えていると学習は進む。動きは自分のイメージどおりになっていく。それが全然ないと、視覚の映像に頼り、誰かがやっているのと同じようにやろうとして、結局うまくいかないということになる。

認知の段階として、発育発達期では原始的な筋や関節の動きのイメージがまず形成される。そして視覚による映像があって、やがてそれが象徴的、シンボリックな言語という形になる。その過程において、小さいときに筋覚などに十分に刺激が与えられないまま、やがていきなり言葉の刺激が入ってくると、頭の中で1つの論理は入ってくるけれども、筋覚が伴っていないから記憶ができない。

たとえば、ネクタイの締め方は理論的には覚えていないけれど、動かすと言葉で説明できる。自分が「思う」というのは、言語的な思考の部分と、それを裏づける感覚的な統合された部分があって、それがあるかないかが運動のイメージにも関わってきます。

運動のイメージは意外と定義的に統一されてないというか、日常的な感じで運動のイメージがどうのこうのと話されている場合が多い。しかし、厳密なとは言わなくても、かなり確定的な定義がつけられるとは思っています。それが認知科学の分野などでは重視されていて、脳から身体へ拡げて捉えようとしています。

今まで、認知は知覚、感覚の延長上にあるという感じだったのですが、その定義がどちらかというと行動として捉えられている。それはすべて事前にある動きのパターンのようなものがあって、あえて言葉で説明しようとしてもできないことはないし、逆にそういうものがあるから言葉で表せる。その像を先につくると非常に筋の活動、動きそのものが組み立てやすい。』

『スポーツ一般もそうで、段階を踏んで先が長いなと思ったら、ある一点をクリアすると全面に展開するということがたくさんあります。ところが、自転車を乗る前に綱渡りを行ってバランスをとる練習をするような発想になっている。

イメージがつくれないものだから、過去の自分の経験のイメージ、車輪が前後にしかなく、右か左に倒れるからバランスがとれなければいけないとなり、そこに注意がいき、足を動かそうとするとバランスがとりにくいので、多くの子どもはこぐということに抵抗し、手でハンドルをどうにかすることばかりに気がいってしまう。

スケートのコーナーワークでスピードを上げたときに、やったことのない人間にとっては、外側の足をグーッとクロスに入れ込む動きのように思えてしまう。基本的にラインからクロスしないで前気味で押すだけで十分曲がれるのだけれど、視覚的には足がクロスしているように見えるので、そうしようとしてしまう。すると、無理して後ろ足を前足にクロスしようとして、外側に倒れたりする。

そうではなく、斜め前に平行に歩くようにすればよいとわかれば、何分かでコーナーワークができるようになります。

過去の経験と視覚で捉えた映像の感じから「こうだな」と計算してしまう。それを補正するのが小さいときの筋覚や体性感覚で、その刺激をどこまで与えられるか。その経験を多く積むほど視覚や聴覚などが精度のよいものになってくる。それができると、今度は言葉が充実してくる。

ブルーナの考え方が非常におもしろいと思ったのは、それが全部適用できるかは別としても、まず原始的な感覚が土台となっている。しかし、それで情報処理しきれないために、感覚の高いレベルである視覚や聴覚などの精度を上げていく。それでもやはり土台ははたらく。

たとえば、大きなものというのは、映像的に両手をうんと広げてつかむ感覚と結びついたものであって、小さいものは片手で持てるなという筋の感覚と結びついて「小さいな」という感覚に結びつける。』

『スキーでの姿勢はこうだとわかっていても、いざ急勾配の斜面を見たときに止まらない、止まれないという意識から姿勢が崩れてしまっていて、写真を見て腰が引けているのがわかると、「いやあ、もっと前に出していますよ!」となる。

運動時の映像を見せてフィードバックするときの狙いは、「ここが伸びている」「ここが曲がっている」ということを指摘するのではなく、「自分のイメージとどこが違っているか」を指摘させることです。「膝(腰)を曲げているつもりだけど伸びている」といった感覚を持つことが重要です。

中略

上体を持ち上げたときにも、重そうだなと思うと筋が張るような気になる。自分でつくった架空のイメージで滑っているなと感じました。ただ、自分としては明らかに違うわけです。グーッと沈み込んで、グーッと押し上げている感じがあるんです。一方では、抜いてポンと上がっている感じがあるのに、ビデオではほとんど変わらない。そのときから、逆に感覚をいじれば動きが変わると思うようになりました。

感覚運動統合には昔から関心があり、脳電位を用いて実験を行っていましたが、もっと土台というか、マクロな発想を持って徹底して考えるようになりました。ボールを投げるときであれば、投げられたボールを捕るときのイメージ、つまり投げられた側からの視野をつくったほうが早いとわかった。

コオーディネーションの大きな3つの柱の中で、「感覚によって運動をつくる、運動によって感覚をつくる」ということを徹底するようになった。投げ方で言えば、投げたときに指にどんなことを感じたかをフィードバックさせたり、蹴るときもボールの蹴り方ではなく、蹴ったときのつま先の感覚をみるようになった。

靴を履かないで裸足で触ったりすると、親指が先に当たるのか、人差し指が先なのかという感覚も得やすいし、その感覚を追い求めるような動きが早くつくれる。蹴ったボールのコースも早く身につく。』

スポンサーリンク

この記事が気に入ったら
いいね ! してね!

Twitter で

目的別記事

お問い合わせはこちら

お問い合わせ

スタジオのご紹介

スタジオ スタジオ

カテゴリー

シェイプアップ ダイエット トレーニング 痛みの改善 スポーツ選手 健康 学生向け おもしろ 魚住廣信 家族


Izuru Style
Tweets by izuru_style
Copyright 2017 神戸パーソナルトレーニングスタジオ Izuru Style