動的平衡|ニュースレターNO.238

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健康に生きるということは、たんぱく質の合成と分解との動的な平衡状態が生きているということであり、それを動的平衡といい、たんぱく質の合成と分解との平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するよう自分自身の状態を調整することができるといわれています。

これは分子生物学者の福岡伸一著:動的平衡(木楽舎2009)に書かれていることです。著書の中では、生命活動についていろんなテーマを取り上げ、わかりやすく解説されています。今回紹介するのは、たんぱく質についてとコラーゲンの話の一部です。コラーゲン摂取について本当のことがわかります。是非一度著書を読んでいただければ興味深いところがたくさんあると思います。

『消化管は、私たちの皮膚が内側に入り込んだ中空の構造体であり、ちょうどチクワの穴のようなものなのである。消化管壁は一種のバリアであり、消化管壁を構成する細胞は互いに密着して、まるごとのタンパク質がそのまま通過することを許さない。つまり他者の情報を保持したタンパク質は身体の「外側」に留め置かれる。
そこでタンパク質はアミノ酸にまで分解され、アミノ酸だけが特別な輸送機構によって消化管壁を通過し、初めて「体内」に入る。

体内に入ったアミノ酸は血流に乗って全身の細胞に運ばれる。そして細胞内に取り込まれて新たなタンパク質に再合成され、新たな情報=意味をつむぎだす。つまり生命活動とは、アミノ酸というアルファベットによる不断のアナグラム=並べ替えであるといってもよい。

新たなタンパク質の合成がある一方で、細胞は自分自身のタンパク質を常に分解して捨て去っている。なぜ合成と分解を同時に行っているのか?この問いはある意味で愚問である。なぜなら、合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」であるからだ。

合成と分解との平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するよう自分自身の状態を調節することができる。これはまさに「生きている」ということと同義語である。

サスティナブル(持続可能性)とは、常に動的な状態のことである。一見、堅牢強固にみえる巨石文化は長い風雨に晒されてやがて廃塊と化すが、リナベーション(改築改修)を繰り返しうる柔軟な建築物は永続的な都市を造る。

それゆえにこそ、私たちは毎日、食べ続けなければならない。食べ物とはエネルギー源というよりはむしろ情報源なのである。とはいえ、先に述べたように「I LOVE YOU」という愛の言葉は、そのまま受け入れられることは決してない。

さらにアナグラム(並び替え)という比喩も実は正確ではない。分解されたアミノ酸は、そのまま順列だけが組み変わるのではなく、散り散りばらばらになって、他から来たアミノ酸と離合集散を繰り返しながら、まったく別のタンパク質を構成するからである。

だから、身体の中の特定のタンパク質を補うために、外部の特定のタンパク質を摂取するというのはまったく無意味な行為なのである。』

『「体調や肌の調子が悪いのには何かが不足しているからだ。だからそれを補給しなければならない」私たちはしばしばこのような欠乏の強迫観念にとらわれがちである。

最近、よく宣伝されているものにコラーゲンがある。コラーゲンを添加された食品の中には、ご丁寧にも「吸収しやすいように」わざわざ小さく細切れにされた「低分子化」コラーゲンというものまである。

コラーゲンは、細胞と細胞の間隙を満たすクッションの役割を果たす重要なタンパク質である。肌の張りはコラーゲンが支えているといってもよい。

ならば、コラーゲンを食べ物として外部からたくさん摂取すれば、衰えがちな肌の張りを取り戻すことができるだろうか。答えは端的に否である。

食品として摂取されたコラーゲンは消化管内で消化酵素の働きにより、ばらばらのアミノ酸に消化され吸収される。コラーゲンはあまり効率よく消化されないタンパク質である。消化できなかった部分は排泄されてしまう。

一方、吸収されたアミノ酸は血液に乗って全身に散らばっていく。そこで新しいタンパク質の合成材料になる。しかし、コラーゲン由来のアミノ酸は、必ずしも体内のコラーゲンの原料とはならない。むしろほとんどコラーゲンにはならないと言ってよい。

なぜなら、コラーゲンを構成するアミノ酸はグリシン、プロリン、アラニンといった、どこにでもある、ありきたりなアミノ酸であり、あらゆる食品タンパク質から補給される。また、他のアミノ酸を作り替えることによって体内でも合成できる、つまり非.必須アミノ酸である。

もし、皮膚がコラーゲンを作り出したいときは、皮膚の細胞が血液中のアミノ酸を取り込んで必要量を合成するだけ。コラーゲン、あるいはそれを低分子化したものをいくら摂っても、それは体内のコラーゲンを補給することにはなりえないのである。

食べ物として摂取したタンパク質が、身体のどこかに届けられ、そこで不足するタンパク質を補う、という考え方はあまりに素人的な生命観である。

それは生物をミクロな部品からなるプラモデルのように捉える、ある意味でナイーブすぎる機械論でもある。生命はそのような単純な機械論をはるかに超えた、いわば動的な効果として存在しているのである。

これと同じ構造の「健康幻想」は、実は至るところにある。タンパク質に限らず、食べ物が保持していた情報は、消化管内でいったん完膚なきまでに解体されてしまう。

関節が痛いからといって、軟骨の構成材であるコンドロイチン硫酸やビアウロン酸を摂っても、口から入ったものがそのままダイレクトに身体の一部に取って代わることはありえない。構成単位にまで分解されるか、ヘタをすれば消化されることもなく排泄されてしまうのである。

ついでに言うと、巷間には「コラーゲン配合」の化粧品まで氾濫しているが、コラーゲンが皮膚から吸収されることはありえない。分子生物学者の私としては「コラーゲン配合」と言われても「だから、どうしたの?」としか応えようがない。

もし、コラーゲン配合の化粧品で肌がツルツルになるなら、それはコラーゲンの働きによるものではなく、単に肌の雛をピアウロン酸や尿素、グリセリンなどの保湿剤(ヌルヌル成分)で埋めたということである。

私たちがこのような健康幻想に取り葱かれる原因は何だろうか。そこには「身体の調子が悪いのは何か重要な栄養素が不足しているせいだ」という、不足・欠乏に対する強迫観念があるように思える。

そして、その背景には、生命をミクロな部品が組み合わさった機械仕掛けと捉える発想が抜き差しがたく私たちの生命観を支配していることが見て取れる。

健康を、強迫観念から解放し、等身大のライフ・スタイルとして取り戻すためには、私たちの思考を水路づけしてきた生命観と自然観のパラダイム・シフトが必要なのである。

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