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板前退職後6ヶ月間放浪、そしてトレーナーとして活動開始

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トレーナー
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板前生活は約1年間で終わります。板前をやめた理由は、一番は大将の女癖があまりよろしくなく、僕の中で尊敬できなくなっていきました。

もしひとつは入院がきっかけでした。労働としてはかなりきつく身体が耐えられない状態ではなかったと思うが、入院という形で一度休んでしまうと、どうしても再度板場に戻る気力が湧かなかった。

結果1年という短い時間で板前をやめてしまうことになりました。これには全くと言っていいほど後悔はなかったし、自分にはよかった選択だと思います。

さて、今回は板前を辞めてからトレーナーとして活動するまでの時間をお伝えしたいと思います。

板前のこと

 

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パーソナルトレーニングをご希望の方は、こちらをお読みいただければと思います。

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仕事が続かず、前を向きづらくなっていく

仕事が続かない

退職後、6ヶ月間はいろんな職業をしていきますが、どうも自分に合わず、本当に数日間で辞めてしまうような状態が続きます。

このことについては、別の記事でお伝えしていきますね。

仕事が続かない中で次第に芽生えてくる、自分は野球がなくなれば何ができるのかという不安の感情。

日に日にそれが大きくなっていき、社会人として生きていける場所はあるんかなと不安になり、自信はなくなっていき、前を向いて時間を過ごすことができづらくなっていきました。

退職した次の年の2月、たまたま沖縄に旅行に行ったのですが、そこでプロ野球のキャンプがやっていてそれを見に行ったんですね。横浜だったと思うんですけど、プロの選手に混ざってウォーミングアップを指導するトレーナーの方が目に入ってきました。

「かっこいいな。プロ野球選手と関われて。」と憧れの想いと、野球と関わる仕事をしたいと強く思い、そのまま沖縄にあるジムを訪れます。

そこでビジターとしてトレーニングをさせてもらい、所長と話をする機会がありました。思い切って、「このジムに就職とかってできないですか?」と聞くと、「1週間後に面接があるけど・・・?」と言われ、僕はすぐに受けることを伝え、荷物を取りに神戸に帰り、荷物をまとめて沖縄に移住することを決めました。

僕のイメージは、沖縄でプロ野球のキャンプがやっている、沖縄のジムで働けばプロ野球と関われるのではないか、よし沖縄で働こう、という構図が出来上がっていました。(そんなことは実際問題ないんですけどね。笑)

そこから沖縄のジムで働くことになり、フィットネストレーナーとして活動を始めることとなります。

 

沖縄で感じた知識不足

沖縄

沖縄に移り住みそこでジムで働きながらトレーナーの勉強を独学で始めます。

ここで働きながらジムの会員さんとかとコミュニケーションをとり、改善したいこと、痛みがあるところなど、いろんな話をしながら自分にできることはないかと必死に働きました。

実際に、いろんな相談をされるのですが、どうしてもうまく改善することができず、自分の知識や技術がないことに苛立ってきてしまいます。

勉強はしたかったのですが、それがどうも違う方向に爆発してしまって、ジムに入社して約1年たったとき、僕はジムを退社してしまいます。そこで1度関西に戻り、約3カ月ほど営業の仕事をしてお金を貯めてまた沖縄に戻ります。

そこではしゃぶしゃぶ屋のマネージャーとして入社しました。3ヶ月程働いたときに、体力的に限界になり、1日15時間労働していた状況に耐えられなくなり、また退社します。

ずっとこのように仕事をやっては辞めの繰り返しで、本当にダメ人間だったと思います。これについてはまた別でお伝えしたいと思います。

自分の生き方を完全に見失って、もう沖縄にいることすら限界に感じたので21歳の4月神戸の実家に戻ることにしました。そこで求人広告を見ている時に、芦屋のサロンで加圧トレーナーを募集しており、未経験だったのですが、資格も取れるということで、そこに面接に行きました。

そして結果合格をして再度トレーナーとして働き始めますが、ここでは本当に自分がなりたいトレーナーを目指そうと思っており、本格的にトレーナーをし始めたのは、21歳の5月からということになります。

 

芦屋マダムに揉まれまくった2年間

芦屋マダム

入社したサロンでは、男性スタッフが僕だけで、しかも一番年の近い先輩が9つ上で、一番上のスタッフの方は、僕のおかんと同じ年齢の方でした。

逆にその環境だからトレーニングについては、自由にさせていただけましたし、僕が学んできたことを実践しやすい環境でもありました。

そのサロンに来られるマダムは、お迎え付きの車で来られる方もいたり、アナウンサーの方や、モデルの方なども来られるような場所でした。僕はちょっと場違いのような感じもありましたが、年齢も若かったので、すごくみなさんからは可愛がってもらいました。

そこで本当にたくさんのことを学ばせていただきました。

話し方、話を聞く姿勢、相手にとって自分がどういう価値を提供できるか、将来の夢を実現すること、人が本当に欲していることを発見すること、トレーナーとしてだけではなく、人として大きく成長できたと思います。

ただ、ここで2年間お世話になったのですが、どうしてもトレーナーとして自分自身の考え方を世の中に発信していきたい、自分の力を試してみたいという思いが強くなってきて、約2年程お世話になり、トレーナーとして独立をしました。

細かく書くと、もっともっと思い出もありますし、いろんな出来事がありますが、そういったことは今後も生地を分けてお伝えしていきたいと思います。

 

社会人としてのスタートには失敗したのかも

19歳に板前を辞め、そこからいろんな仕事をしては辞めの繰り返し。自分自身に全く自信が持てなくて、社会では生きていけないんじゃないかと思っていました。

だけど、21歳のときに就職した芦屋のサロンで自分自身と向き合っていく中で、いろんなことに挑戦していきたいと思えるようになりましたし、前向きになれていったように思います。

社会人としてはスタートダッシュどころか、かなり躓いたと思います。だけど、やっぱりその後、どのような人になりたいのか、どういう人間になっていきたいのかをイメージして、その姿になれるように必死にもがいてくると自分自身が大きく変わっていくことが変わりました。

知識や技術もそうですし、人としても成長を感じれるようになりました。

ただ、まだまだ自分の納得する位置まで来ていませんので、これからの人生のその理想と現実のギャップを埋めることが最大の目標になるのかなとも思っています。

ざっと学生を終えて板前からトレーナーになった経緯をお伝えしてきました。他のページではおかんのこと、転職をしていたときに考えていたことなどをお伝えしていきたいと思います。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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