32年間で20年家出をしているおかんの話

人生というのは人それぞれであり、価値観も生き方も違います。そこに正解もなければ不正解もないと思います。

死ぬ直前に「後悔のない人生だった」と思えれば、それは大成功と言える人生になるのかもしれません。

僕は32歳になりましたが、もう時期70歳になったおかんを見ていると、人とは違う感謝の気持ちがわき上がってきます。なぜなら普通ではない幼少期を過ごさせてもらったから。

当時はそれが苦痛であり、普通であり、今になって思えることは

少し変わったスタイルの家族だった

ということ。

何か少しでも届くメッセージがあればうれしく思いますが、今回はおかんや家族と過ごした時間を通じて感じた、年齢で判断しない人生観について話をしていきたいと思います。

この記事では、

  • おかんの家出歴
  • おかんの家出から学んだこと
  • 3~40代女性に伝えたいこと

などをお伝えします。

おかんの生き方を見ていただくことで、こういう生き方もあるということを知っていただければと思います。

自由奔放で147cmの小柄体型から繰り出されるエネルギッシュな言動は、子供である僕の自慢でもあります。

最初に言いたいのは、伊藤家に生まれてきたこと自体僕にとって幸せなことであり、誰一人欠けてはいけない家族と出会えたことに心から感謝しています。

 

兵庫県神戸市で4人兄弟の末っ子として生まれた

僕はおかんと親父の間に4人兄弟の末っ子として神戸市に生まれました。

最初に簡単におかんの紹介をしたいと思います。

てるちゃんこと、伊藤家の母

兵庫県朝来郡に生まれ、おやじと出会い神戸市に移住する。その後結婚、4人の子供を産み、その末っ子として僕が生まれました。7つ上の姉、5つ上の兄、2つ上の姉。見事な産み分け。

おかんの性格は控えめで物静かですが、もう時期70代になる現在も3つのパートを掛け持ち。1ヶ月に休みが3~4日程度。

早朝から夜遅くまで働くパワフルおかん。ただ、今でも家出中。すべてのことは自分でし、生活費も一切家族の誰からも援助を受けず、自分で生活費を稼いでいる。

僕は20歳のときに沖縄に移住しましたが、1年間ぐらい行ったり来たりの生活を繰り返し、神戸に戻り住むようになりました。

僕自身もこれまでの人生いろいろと経験してこれましたが、それは家族のおかげだと思っています。

 

おかんの家出歴のはじまり

はじめておかんの家出に気がついたのは、小学1年生ぐらいだったと思います。そこは定かではないですが、何時になってもおかんが帰ってこない。

このときはじめておかんが家出をしたことを知りました。家族の噂によると、それ以前から家出癖はあったそうですが、ここから僕にとっておかんのいない生活が始まりました。

  • 炊事
  • 洗濯
  • 掃除
  • その他もろもろ…

こういったことは、面倒見のよかった7つ上の姉がほとんどしてくれました。いつも2つ上の姉と共に3人でどこかに出掛け、一緒にお菓子を作り、外で遊んでいたように思います。

おかんのいない生活は寂しく不便なことはありましたけど、おかんの家出によって「みんなで協力する」という家族の温かみを深々と感じることができました。

 

数ヶ月、数年後に家に帰ってくる

おかんの家出ですが、「20年間している」と書いてはいるものの、実は連続してしているのではなく時々家に帰ってきます。それはいつも突然で、その瞬間はとてつもなくうれしかった。

でも、帰ってきたと思ったら数ヶ月間で家出を再開するときもあれば、そこから数年帰ってこないときもありました。おかんの家出で一番困った時期は、中学生の頃。

高校は神戸市立神港高等学校という公立を受験しようと考えていました。

それは野球つながりで魅力を感じ、推薦で受験することになっていましたが、そんな進路指導になると逃げられない行事があります。それは、三者面談。

この三者面談である事件が起こりました。

 

絶対に言えない三者面談

三者面談があるということを事前におかんに伝え、どうしても来てほしいということで“渋々”来てくれることとなりました。

当日学校の正門の前で待ち合わせすることになっていましたが、約束の5分前に正門につき、おかんを待っていました。

・・・1分後。

・・・3分後。

・・・5分後・・・。(時間だ、やばい。)

・・・7分後。。。

鞄から携帯を取り出しおかんに電話しても出ない。終わった。

このときおかんは家出先から直接学校へ、そして僕は実家から学校へ行くことになっており、先生はそのことを知りませんでした。諦めて先生に謝ろう。。。

そう心に決め教室に入ると談笑している先生と・・・おかん。

先生(以下:先)「お前はどこをほっつき歩いとったんじゃ。早く座れ!」

僕「・・・すみません。」

先「お前どこから来たんや?」

僕「家からです。」

先「嘘つけ!お母さんも家から来たって言ってるし、嘘つくな。」

僕「(先生!家の意味がそれぞれ違います!!実家と家出先の家の違いです!)・・・。」

先「何か言いたそうやな。正直に言え!どこいってた!?」

僕「・・・すみません。」

バシーン。頭を1発叩かれ、三者面談がスタートした。言えるはずがない。おかんが家出をしているなんて・・・。

こういった苦い経験は、高校生の時にも起こります。

 

お寿司を思い出せ!恐怖を回避するのか出をとるか?

ときは流れて高校3年生の冬、学校に無断で板前のバイトをしているとき、顧問だった野球部の監督が偶然来られてバレてしまった。

翌日、呼び出されて監督にぼこぼこにされました。今でこそ笑い話ですが、結構な勢いでやられました。(笑)それもいい思い出ですが、本当の思い出はここから。

別日の早朝に呼び出されたおかんと僕は、指導室に入った。そこで鬼の形相で待つ顧問の先生がいました。





顧「お母さん朝早くからすみません。早速ですが、出がバイトを知っていることはご存知でしたか?」

母「えっ、いえ・・・あの・・・」

顧「お母さん正直に言ってください。」





これ以前の話。家出から帰ってきていたおかんは、僕が練習で作らせてもらったお寿司を「3回ほど」食べていました。

そして、その内容は1人前4,000円相当のもので、大将もご挨拶にと豪勢にネタを用意していただいた。

家に持ち帰り、お寿司を食すおかん。

母「おいしいわ!出頑張るんやで!お母さんは何もしてやれんけど、応援してる!」

と言ってくれた。それが嬉しくて、今までお世話になった方に食べてもらえるまで頑張ろう、と思った。





話を戻します。先生の質問におかんは正直に答えると、

バイトをしていたことを知っていた

ということになります。これは紛れもない事実。明らかに桂剥きの練習も毎日していたし、豪華なお寿司を食した事実があるので100%知っているはず。

テンパったおかんは驚くようなことを先生に言い出します。

母「先生!わ、わ、わ、わ、私は・・・し、し、し、知りませんでした。」

出「えええええ・・・おかん俺のお寿司食べたやん・・・。」

顧「お前はふざけてるのか!!」

おかんに裏切られた。

先生にまた1発殴られ、まあまあいい音が室内に響きました。先生の怒り収まらないままでしたが、この日はこれで終わった。

おかんは帰り際、こう一言行って帰りました。

母「あ~先生怖かった。疲れたからもうお母さん仕事行くわね~。」

ここからもわかる通り、あがり症のおかんで天然という言葉を使っていいのかわかりませんが、すごく驚く発言をするおかん。

ここまでの話で、自由奔放なおかんのことは少し理解していただけたと思います。

 

本当はもっと自由でいいのかも

あまり話すぎるとおかんに怒られそうですが、おかんは実家にいるときも何度かパートをしていました。けれどもあまり自分に合うところがなく、職場を転々としていた時期が続きました。

そんな状況に親父も苛立つときがしばしば。でもそれが、今では70代にして3つのパートを掛け持ちし、休みもほとんどない毎日を過ごしています。

  • 30代
  • 40代
  • 50代
  • 60代
  • 70代

とそれぞれの年代で家出をし、そのときの費用はすべて自分で賄っています。自分で激安賃貸を探し、食費を浮かし、みなさんが想像している以上の貯金もできるぐらいの資金繰りをしています。

パートを転々としていた時期とはうって変わって、仕事場には合う合わないもあると思いますが、必死に働いています。

趣味にも没頭し一人の時間を楽しんでいるようにも見えました。今では2人の姉と旅行に行っているほど。

家出の原因はいつも些細な親父とのケンカで、感情的になり家出をします。でも前もって貯金をしているというわけでもなさそうだったのに、それでも自分で生計を立て、安定した生活を送るようになります。

こういったおかんの姿を見ていると、

環境が変われば、年齢に関係なく人は変われるんだなぁ…

ということを感じます。そして、その最初の一歩目が感情的であったとしても、そこに順応してしまうのが人間なのかもしれませんね。

 

最大4つのパートを掛け持ち

おかんのすごさを物語るのは何といっても、70代目前にして最大4つのパートを掛け持ちしていたことです。これにはさすがに驚きました。どれだけパワフルなんだと…

弱音を聞くほど会えてもいませんが、このときもなんとかやっていたそうです。

朝5時半に起床し、お昼休憩もはさみますが、帰宅は21時ぐらいになるそうです。こんなおかんですが、本当に頑張っていると思うし、もっと親孝行したいと思いますよね。

 

子供ながらに感じていたこと

正直、一般家庭では味わえないことを経験できたと思っていますし、僕も高校時代野球部に所属しながら新聞配達をしていた時期もありました。

沖縄に移住したときは、手違いで1週間野宿したこともあります。

おかんの家出で感じたことは、

自分で前を向かないと、今の状況は変えられない

ということです。

小学1年生の頃から包丁を使っていたし、掃除、洗濯も姉や親父がしてくれていましたが、それでも小学1年生の頃から自分ですることもありました。

進路も親に相談したこともなかったし、就職も一切相談しなかった。でも今考えると、全て普通のことで自分の将来を決めることなので自分で考えるのは当たり前です。

ただ正直な気持ちを言えば、小さい頃は少なからず寂しい思いもありましたが、おかんを楽に生活させてあげたいという気持ちが大きかったことはよく覚えています。

それと同じように親父に対しても感謝していたし、親父については今だからこそわかる苦労だったり、事情があったと思うので、親父のことはすごく尊敬しています。

 

おかんの生き方から感じること

大人になるにつれて、

  • 本当はこういったことがしたい
  • 今の自分を変えたい

と思う気持ちが本当はある一方で、今の安定した環境を変えることに恐怖を感じ、行動できないことがあると思います。これはクライアントさんからもよくお聞きします。

でも僕のおかんの場合、その一瞬の迷いがあまりないようです。というよりも、ある意味家出をすると決心したときは覚悟しているんだと思います。自分でやっていくんだと。

自分一人の空間が好きで、好きにいろいろしていくのが楽なのがおかんだと思いますが、その空間に対する欲求は非常に高いのだと思います。

おかんの存在は生き方の参考にはならないかもしれませんが、こういう人生、家族との距離感ですごす人もいるということを感じていただけたらと思って今回こういった内容をお伝えしました。

 

これだけははっきりと言えること

ここまでおかんの紹介をしてきましたが、3,4,5,60代すべてで家出を再スタートさせ、新しい環境に入っているおかん。

これを見れば何かを始めるのに年齢は関係ないのかなと感じます。(無理やりですが。)

これだけははっきり言えることは、

おかんの人生はおかんの人生であり、僕の人生は僕の人生である

ということです。

それぞれの価値観があるのであれば、その道を歩んでいくことが一番いいと思いますし、僕もできれば自由にやっていきたいと思っています。

僕は嫁や子供3人を置いて家出は決してしませんが。(笑)

他人に何かを決められるのではなく、自分が本当にしたいことをしたときに本当に充実感を味わえたり、よかったなと感じる時間を過ごせると思います。

もしかすると今頃おかんは、「家出してよかった~]と思っているかもしれません。(笑)

文章にこだわらず思い付きで書きましたので、まとまらない文章になってしまったかもしれませんが、何か感じることがあって、あなたの悩みの解決に少しでも役立つことができればうれしく思います。

人生を変えるのには年齢は関係なく、今この瞬間に「変わろう!」と決意し、一歩踏み出せばこれからの人生は変わるはずです。

僕はそういったあなたを心から応援したいですし、IDEALSTYLEはそういった空間であり続けたいなと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

あなたが理想とする人生、自分はどんな姿・形ですか?そんな自分になれるよう、ずっと応援しています!

パーソナルトレーナー伊藤 出

パーソナルトレーナーの32歳。身体の悩みを改善するための情報を発信しています。板前→沖縄でジムのインストラクター→女性専門のサロン→独立(パーソナルジムIDEALSTYLEオープン)。

 

■指導経歴
STORY・VERY読者モデル、アナウンサー、宝塚歌劇団員の元専属トレーナー。神戸女子大学ラクロス部、三菱重工業神戸在籍野球選手の専属トレーナー。

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