主観と客観のずれはなぜ起こるのか|ニュースレターNO.173

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暑い、蒸し暑い夏が本格化してきました。昨年は、手術の後で、暑さも感じなかったし、汗も出なかったのですが、正常なからだに戻ったので、暑いし、汗も出ます。何とかこの8月を乗り切りたいものです。8月の25日から大阪で世界陸上があるのですが、その前に、各国の選手団が日本国内で調整合宿をやるようです。

鳥取では、ジャマイカの選手団がキャンプを行うようで、鳥取陸協からトレーナーの派遣の依頼が来ました。平成スポーツトレーナー専門学校の教員が引き受けることになりました。期間は、11日から21日までです。世界のトップアスリートに直に触れられるチャンスはこの後もうないと思われますので、教員たちにも精一杯頑張ってほしいと思います。私も、遅れて参加の予定です。また、次回のニュースレターで、報告できると思います。

さて、今回のニュースレターは、「主観」と「客観」についての話です。小田伸午編:運動科学実践編二軸動作がスポーツを変える!(丸善株式会社2007)が発刊されたのですが、その第3章に、進矢正宏氏が書かれた「数値で表わせる力、感覚でしか分からない力」というのがありました。

その前の章では、以前に紹介しました内旋、外旋の説明があるのですが、写真などを見てもやはり自分の頭の中では理解が難しいものでした。しかし、この第3章は面白く、指導者にとって大切な示唆を与えてくれるものだと思います。多くの方が思い当たるところが多いと思います。今後の指導に役立つと思われるところを紹介したいと思います。詳しくは、上記の著書をお読みください。

『あなたが今いるのは主観の世界でしょうか、それとも客観の世界でしょうか。普段、スポーツをするときや日常生活をするとき私達は主観や客観ということをいちいち考えたりはしません。このことは、普段の私達は主観の世界・客観の世界というよりも、そんなことは問題にもしない素朴な世界に生きている、ということ意味しています。

ところが、この段落の冒頭のように主観・客観のどちらですか、と問いかけられれば、それに対して答えることはできると思います。主観と客観というのは、はっきり分けられるものでもありません。素朴な世界を主観・客観という切り口で分析するときに、初めて立ち現れるものなのです。主観と客観のずれは、素朴な世界でのすれ違いを、主観と客観という切り口から分析したときに現れてくるものなのです。

指導者のいいたいことがうまく伝わらない。そういったスポーツの現場におけるすれ違いを、主観と客観という切り口でみてみると、素朴な世界でやりとりをしている両者の間で主観・客観のレベルに隔たりがあるということがわかります。この隔たりを生む一つの原因は、客観的にとらえているつもりの内容が実は客観的な事実ではない、ということにあります。

先ほど、しゃがんでから立つ動作と膝の抜きを行った際の床反力と筋電図のデータをみせしました。図をみる前にどのような波形になるか直感的に予想してもらいましたがどうだったでしょうか、一致していたでしょうか。

ほとんどの人は概形すら違うものを予想していたのではないでしょうか。タイミングや大きさも含めて完全に客観的な事実を、直感的にとらえられた人はいないかと思います。ヒトの素朴な感覚、運動や認知の構造は客観的な事実を正確にとらえるようにはできていないのです。客観的な事実を認識する能力がない以上、主観と客観のずれというものは必ずつきまとってくる問題であって、避けることはできません。

しかしながら、必ずずれが存在することを認識しているか否かでは大違いですし、ずれが生じやすい状況を理解することは隙間を埋めることに一役かってくれるはずです。』

『科学的にスポーツをみる際には物理・生理・心理学の三つの方向からみることができ、そしてこれらは密接な関係をもってはいるものの、基本的には別のものであるということは先ほど述べました。しかし、私達の直感は往々にして物理・生理・心理学的な事象を単純に結びつけてしまいがちです。

しかも、事実はそうではないにもかかわらず、素朴に客観的なこととしてとらえてしまいます。誰かが強い力(物理)で押してきたら、彼の筋肉はフル活動(生理)している。誰かが急激な切り替えし動作を行った(物理)としたら、そのとき彼は切り替えし動作をしようと思っている(心理)。このように考えてしまいませんか?

もちろん部分的には正解です。しかしながらそうとも限らないということをあなたはもう知っているはずです。強い力で押してきたと思ったのは自分が無防備だったからかもしれません。筋は押し始めたときに最大の活動をしていて、押された瞬間にはすでに休止しているのかもしれません。

切り替えし動作をしているときには次のプレーのことを考えているのかもしれません。あるいは何も考えていなくてほとんど無意識的な動作として行われているのかもしれません。』

『次は時間の差です。ヒトの運動はさまざまな部位の運動が高度に統合されているため、ほんの尐しでも時間が狂うとぎこちないものとなってしまいます。陸上や競泳などのレース種目で争われるタイムは10ミリ秒というオーダーです。野球のピッチャーの投球などの瞬発的な動作では、さまざまな筋肉の活動がミリ秒のオーダーで巧妙に協調されています。

にもかかわらず私達は0.1秒以下の世界を認識することは困難なため、数ミリ秒という微妙な時間差があるはずのものを同時に起こっているものと錯覚してしまいます。足が振り戻されているタイミングをビデオで確認して、その瞬間に足を振り戻す意識をもとうとしてしまったりします。意識をもってから足が動くまでには時間がかかるので、振り戻されているときに振り戻す意識をもつと緩慢な動きになってしまいます。

細かい動作タイミングなどを意識して本番のパフォーマンスを行うというのは、いわば体重計に一粒の米粒をのせて重さをはかるようなもので、そもそも不可能なのです。また、ヒトはある瞬間に成立している出来事を、ある程度の過去から未来においてまでも成立してしまうと勘違いしてしまいがちです。

右手と右足が同時に出ている瞬間があるからといって、右手と右足を同時に出し始めようとしたりします。右手と右足がある瞬間に同じ場所にあっても、動き始めるタイミングにはずれがあるのかもしれません。』

『最後に次元の壁です。ある瞬間の物体の位置と速度と加速度は互いに微分積分の関係にあります。この中でヒトが目でみて得られる情報は変位(位置)です。私達はぱっとみただけで、ボールが今どこにあるかを知ることができます。速度は変位の一階微分です。微分というのはそのときそのときの変化の割合です。

これくらいならまだみただけで直感的に理解することができます。今ボールが右に動いているのか左に動いているのか、速く動いているのかゆっくり動いているのかそれとも止まっているのか、こういった情報を私達は簡単に知ることができます。二階微分の加速度となると話が違ってきます。加速度は現在の位置の変化の割合の変化の割合です。

字でみただけでわけがわからないでしょう。私達の脳も加速度を直感的に理解することは困難なのです。しかしながら、加速度と質量の積が力なので、加速度と力は同じ次元です。ヒトの感覚の多くは力を感知するものです。また運動を行う際に実際に制御するのは筋レベルでの力、すなわち加速度なのです。

また、一次感覚が加速度や力を感知していても脳で統合され位置情報として意識されたり、脳では位置情報として運動指令を構成したりということをヒトは行っています。自分の運動に関しては、次元の変換は自動的に行われ、かなり有効に機能します。しかしながら、他人のあるいはビデオの中の自分の動きを目でみたときは、そうはいきません。

自動的に行われるはずの微積分処理は、自身の動作のときと違って間違いを犯してしまいます。私達は素朴な世界で、その間違った情報をもとに解釈を行ってしまいます。速度は位置の一階微分、加速度(力)は位置の二階微分なので、それらがピークをとるタイミングは決して一致するはずがないにもかかわらず、速く動いているときには大きな力が加わっていると勘違いしてしまいがちです。

例えば、突きの威力を増すべく、拳が届く瞬間にさらに押す方向の力を加えようとしてしまったり、腕を高速で回転させるべく、まわそうという意識のもと接線方向の力を加えようしたりしてしまいます。

このように素朴な客観はしばしば間違いを犯します。スポーツ科学は、限られた範囲ではありますが、客観的なデータを提供してくれます。データを良心的に解釈して正しく用いることによって、今起きている主観と客観のずれはどのようなものなのかを分析することができるようになります。

そしてその分析に基づいて、差を埋めたり修正したりすることができるようになります。しかしながら主観と客観のずれは起こるべくして起こるもので、完全には避けることはできません。ですから、主観と客観のずれは、悪いものとして完全になくすというよりは、うまく利用して付き合っていく、という態度でいたほうがよいのかもしれません。』

『私はスポーツ科学の研究者を目指しているので、最終的に研究は現場に生かされるためにあるものだと思っています。しかしながら、どう生かすのかということになるとなかなか難しく単純にはいかないところがあります。残念ながら現在のスポーツ科学は、特に私が専門としようとしている神経生理学やバイオメカニクスは、そのまま現場に生かすことができるような画期的で決定的な知見を得るには至っていないように思えます。

理論上人類が最も速く走ることができるフォームや、こうすれば必ず勝てる動作というものをみつけだす能力は、現在のスポーツ科学にはありません。では現在の段階での研究は、スポーツの現場にどのように生かすことができるのでしょうか。私は、主観と客観という切り口が研究を現場に生かすキーワードとなり得るのではないかと考えています。

前に述べたとおり主観と客観は分析する際の切り口なので、ある人がある動作をしているときの主観と客観は対応しています。この対応は個人個人の中にあるものなので、必ずしも自分と他人では一致しないのです。しかしながら客観的なものは、尐なくとも目標とするものは、同じ競技をしている人同士ではある程度一致してくると思います。

野球のピッチャーならば、誰でもコントロールよく速い球を投げたいと思うでしょうし、陸上や競泳のようなレース競技では誰よりも早くゴールに着きたいと思うでしょう。フォームの修正を行うときなどには、膝を高く挙げる、頭が下がらないようにするといった、さらに細かい目標があるのかもしれません。自分の主観と他人の主観は、客観によって結びつけられているのです。

スポーツや運動に関する本を読んでいるとき、動作を指導したり指導されたりするときには、誰でもちょっとしたすれ違いを体験したことがあると思います。教本にはこうやって動きなさいと書いてあるけれども、どうもうまくいかない。先生が教えてくれることがもう一つどういうことなのか理解できない。

先輩によって教えてくれる内容が違う。後輩の動作がおかしいのは何となくわかるのだけれども、どのように指導すればいいのか言葉が思いつかない。こういった経験を毎日のようにするわけなのですが、どのようにすればこのすれ違いをなくすことができるのでしょうか。もしかすると主観と客観という切り口が一つのヒントを与えてくれるのかもしれません。』

『「違う、そこでパッと思いっきり引くんだ!」「踊りながら杭を刺すように投げるんだ!」-あの人のいうことはどういうことなのかさっぱりわからない。たまに何となくできることもあるけど、どうにも理解できない-こうしたすれ違いはなぜ起こるのでしょうか。あなたが指導者だとすると、このようなすれ違いを避けるためにはどうすればいいのでしょうか。

また、あなたが指導される側だとすると、こうした指導を受けた場合、どのように解釈すれば上達することができるのでしょうか。こうした指導は動作をする際の主観に、より重点を置いた指導であるといえます。ここで起こっている問題点は、指導する側の主観と指導される側の主観が一致していないという点に原因があります。

そこで、まずは客観を一致させます。つまり、目標とする動作を指導する側とされる側で一致させるのです。当たり前のことのようですが、もう一度確認してみてください。タイムをよくする、速い球を投げられるようにする、強い突きが打てるようにする、このレベルでの目標は一致させやすいと思います。

しかしながらもう尐し細かく分析して、力を入れるタイミングを変えたい、あるいは肘の位置が挙がるようなフォームにしたい、というようなより細かいレベルでも一致させることが重要です。主観的な言葉で指導をする人は、その言葉がどのような動作と対応しているのか、そしてその動作は指導される側が目標としている動作と一致しているのか、という点を考えてみるとよいでしょう。

主観的な言葉で指導された側は、感覚的な言葉なのでさっぱりわからないと拒絶するのではなく、その言葉を発した指導者が目指している動作はいったい何なのか、について考えてみると上達する手がかりを得られるかもしれません。

主観的な指導のもう一つの落とし穴は、主観と客観の対応が自分と他人で同じだと錯覚してしまうという点にあります。ある程度はやむを得ないのですが、まったく同じ動作をする際にも、他人同士ではそのとき考えていることは全然違う、ということがあり得るんだということを知っておいて、あるいは自分に言い聞かせておいて損はないと思います。

指導をする側は、自分ではうまくいったからといって他人が自分と同じ動作感覚をもっているとは限らないということを踏まえて指導しなければなりません。教えたのにうまくいかない、教えられた側が腑に落ちない顔をしている、といったときには同じ動作に対応するような別の言葉を探してみるといいかもしれません。

指導される側は、いわれたとおりやってみたのにどうもうまくいかないというときには、指導する側の意図、つまり目指している動作の客観的な部分をくみとって、自分なりの言葉を探してみるといいかもしれません。これは指導者のいうことを聞いていないというわけではありません。実際に動くのは自分なので、最終的には自分の主観や動作感覚を身につけなければならない、ということなのです。』

『「お前のフォームでは膝が下がっている」「腕を挙げるタイミングが遅い」というような、どちらかというと客観的な言葉での指導でもうまくいかないことはたくさんあります。客観的な指導で定評のある有名なコーチで、みんなこの人の指導を受けてうまくなっている、自分もこの人に教われば大きく伸びるだろう、と期待に胸を膨らませていたのに、実際に指導を受けてみると自分はどうもうまくいかない。ここでは何が問題となっているのでしょうか。

指導者の言葉の表面的な主観・客観のレベルと、指導者が本当にいいたいことの主観・客観のレベルは必ずしも一致しない、というところに問題点があります。選手は主観・客観のレベルを指導者の表面的な言葉ではなくて、指導者の真意と一致させなければ上達することはできないのです。指導者が主観的な言葉で指導する場合は、その言葉が実は客観的な事実を表しているということや、選手が客観的な事実と勘違いするといった誤解はまず起こりません。

「パッと切り返せ!」といわれて、「パッと」という客観的な動作があると思う人はいないでしょう。しかし、表面上客観的な言葉で指導された場合は、指導者自身も選手も主観と客観のレベルを取り違える可能性があります。指導者がこれを間違えると、指導者の言葉が実は動作の客観的な部分を表していない、ということになります。例えば、尐林寺拳法や空手の中段蹴りでは「膝を挙げることが大切だ。膝を胸まで引きつけてから蹴りなさい」という指導が行われることがあります。

しかしながら、その指導者自身の蹴りをみると、膝は腰の高さまでしか挙がっておらず、どうみても胸まで膝が挙がっているとは思えません。指導される側としては、いったい膝をどの高さまで挙げるのが正解なのか、と混乱してしまうかもしれません。

実はここで指導者は、「胸の高さまで」という、一見客観的な言葉で指導しているのですが、その真意は「もっと高く膝を挙げるつもりで蹴りなさい」という、主観的なことを伝えようとしているのです。にもかかわらず、指導される側は指導者が客観的なことを指摘しているのだと解釈して、膝を挙げる高さが胸なのか腰なのかで混乱しているというケースです。

スポーツ動作を研究していると、客観的なこととしてとらえられていたことが、言葉どおりのデータが得られないということは日常茶飯事です。もちろん測定の限界や誤差ということも考えられますが、主観と客観のずれに由来しているという可能性も十分にあり得ます。

あなたが賢い選手なら、指導者に「胸まで膝を引きつけて蹴れ!」と叱咤されたときに、「自分は膝の引きつけが甘いのだな」「もっと膝を意識して胸まで挙げるつもりで蹴るといいのだな」と考えるべきなのです。生真面目に「胸まで」という部分の客観的な内容にこだわっても上達はできないのです。

二つめの可能性は、先ほどとは逆に動作の客観的な部分を、指導される側が主観的にとらえてしまっているという状況です。本当に「膝が挙がっている」動きにならないといけないにもかかわらず、「膝を挙げる」という意識で動いたならば、実際に行われる動作は目標とはまったく違う動作になってしまう可能性もあるわけです。

このようなときはやはり、「こうなるのであってこうするのではない」、という言葉を思い出して自分なりの感覚を身につけるよう努力するべきでしょう。』

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